『べらぼう』「千客万来『一目千本』」
2025-01-20


このドラマは、奥行きのある映像を演出しようとしていると感じる。半逆光ぐらいで、登場人物の輪郭を光でうかびあがらせて、背景を暗くして奥行きを感じさせる。このような映像の作り方をしている場面が、いくつかあったかと思って見ている。

花魁たちの化粧については、これは時代考証の結果もあるのだろうが、かなり現代的な雰囲気で、かなり妖艶なものになっている。かなり凝った映像として、見せようとしていると感じる。

弁柄格子の色が印象的に使われている。また、その中にいる女性の視点と、外からそれを見る男性の視点と、両方を描こうとしていると感じさせる。

吉原が舞台のドラマであるから、床下手、腹の上で死ぬ、というようなことばが使われてもおかしくはないのだが、どういうことかは見るものの想像力ということになる。

入銀本のことだが、要するに蔦屋重三郎はウソをつく、はったりで仕事をするのがたくみである、ということになるのかもしれない。このような素地があってこそ、いわゆるこの番組でいうところの江戸のメディア王という存在になり得た、ということになる。そして、重要なことは、何かを作ることは楽しいことだ、ということを知ったことである。

田沼意次がどのような政治を構想していたか、その理念ということが、まだ明らかに描かれてはいない。一般に、田沼意次は悪者のイメージであるが、その人物像と政治の判断とは、どうかかわるのか、というあたりのこともこれから、ということになるのだろう。

家治と田沼意次が、江戸城内を歩くシーン。天井を映してあった。これは、セットも撮影も凝ったものということになる。

大河ドラマで、おにぎりが出てくると、あまりいい印象がない。(もうやめてほしい。)

本を作って、その板木の管理はどうなっていたのだろうか。近年、急速に研究の進んだ分野として、江戸の木版本の板木の研究がある。

ドラマのこの段階では、本は、商品としてあつかわれていない。吉原に客を呼ぶための手段として見られている。ビジネスとしての、出版ということと、蔦屋重三郎のこれからは、どうかかわることになるのだろうか。

最後の紀行で、岩瀬文庫が登場していた。この施設が、このように紹介されることは珍しいことかもしれない。

2025年1月19日記

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