『思想地図』:研究者は自分の年齢を言うべきか
2008-05-01


2008/05/01 當山日出夫

日本語学(国語学)などという分野にいると、他の研究分野と決定的に違うと感じることがある。それは、研究者が、自分の年齢を、おおやけにする、という暗黙のルールがある、ということである。

たとえば、『日本語の歴史』というタイトルの本は、今、2種類ある。亀井孝らによる、平凡社版(現在、平凡社ライブラー)。それと、岩波新書の、山口仲美『日本語の歴史』である。個人的には、山口仲美先生も、また、山口佳紀先生も、存知上げているのだが、それはさておき、岩波新書版の『日本語の歴史』の奥付にある、著者の紹介欄には、生年が記してある。

通常、女性が著者である場合、その生年は、記さない。だが、「ことば」の研究者は、自分が、いつ生まれたか、つまり、何時の時代の日本語を習得して育ったか、これは、研究者として必須の情報である。ゆえに、女性であっても、基本的に、その年齢(生年)は、公開しなければならない。

と、このように書いたのは、今日、京都からの帰りに買ってきた本。

『思想地図 Vol.1』(NHKブックス).東浩紀・北田暁大.日本放送出版協会.2008

これは、その是非や賛否はともかく、「世代」を強く意識して編集してある。この本については、もろさんがブログで言及している。最近のものは、

[URL]

思想の世代・・・というものは、どう考えるべきか、このあたりから、私などは考えてしまう。

なお、同時に買ったのは、

『情況への発言 全集成』1・2.吉本隆明.洋泉社.2008

それから、今朝の新聞の「さんやつ」に載っていたのが、内田義彦と谷川俊太郎の対談集(藤原書店)、見て、すぐに、オンラインで注文してしまう。

いまどき、吉本隆明・内田義彦などを読もうとうのは、やはり、ある時代を生きた世代にとってのことかもしれない。

當山日出夫(とうやまひでお)

[読書]
[つれづれなるままに]

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