『こんな日本でよかったね』
2008-07-20


2008/07/20 當山日出夫

やっぱり出ると買ってしまう、内田樹センセイの本である。

内田樹.『こんな日本でよかったね−構造主義的日本論−』.バジリコ.2008

もとがブログ記事であるから、ある意味で読みやすい。あるいは、急に、パラグラフが変わって、話しが飛躍したり。ま、気楽に読めばいいのであろう。この本を読んだ後、事後的に、自ら、何を思うか、なのであるから。

内田樹から学ぶべきものとして、私が考えるのは、「自分とは違った考え方をする人がいる、ということへの、理解」である。自分は、このように考えるということを、主張することはできる。だが、自分とは、異なる考え方をする人に対して、何故、自分は、この人に同意できないのか、あらためて、自問することは、レベルが異なる。

と、いうようなことを「文字」についても、感じている。

WSの後の懇親会、いろいろ席をまわって、参加者の意見を聞いてみると、WSを企画した、私と師さんの意図とは、違った発想の持ち主が多いように、みうけられた。それは、それで、かまわないのであるが。

漢字を増やすこと、いわゆる「まぜ書き」をなくすこと、漢字の字体の正しさやデザイン差について論じるとこと……このようなことには、熱心な人が多い。これはこれで大いに結構なことである。

ある公的な文字セットを「設定する」(今回であれば、(新)常用漢字)ということと、それを、どのように「運用する」か、ということは、次元が異なる。

このあたりの論点整理ができていない。(このあたり、マスコミの報道のレベルの問題でもある。)

「俺」が(新)常用漢字になったとしても、「俺/ORE/」という、ことばを使わなければならないということではない。使わなくてもかまわない。漢字で書かなければならないわけでもない。書きたければ、「俺」「オレ」「おれ」、各種の表記法がある。そのうち、漢字を選択したときに、どの文字(字体)を、標準的なものにするか、というだけのことである。

(新)常用漢字外であれば、通行の漢和辞典の字体(康煕字典体)を採用ということになる。(新)常用漢字に入れば、公文書・新聞・教育などにおける、漢字を使用するときの、標準的な字体となる、ただ、それだけのことではないのか。(なお、「俺」に、拡張新字体は、今の時点では、存在しない。異体字は、あるかもしれないが。)

かつて、「0208(83)」規格が、猛烈に批判された時期があった。JIS漢字は、日本の伝統文化を破壊しているとまで、言われた。では、その後、「0213」になってどうなのか。あるいは、さらに「04」になってどうなのか。むかし、JIS漢字を批判した人たちの、今の意見を聞いてみたい。そして、できれば、(新)常用漢字についても、意見をきいてみたい。

(新)常用漢字は、漢字を増やすのみではなく、削る案もふくんでいる。尺貫法の文字を残さないのは、日本の伝統文化の破壊ではないのか。これは、「鴎」をどう書くかという以上の問題をはらんでいる(はずである)。

沈黙も、また、一つの意見表明のあり方なのではあるが。

當山日出夫(とうやまひでお)

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