事実は何を語るか
2009-05-01


2009/05/01 當山日出夫

先日の、学習院大学での、日本アーカイブズ学会のとき、午前中、時間があったので、靖国神社に行ってきた。

本殿の前では、一礼。(これは、宗教の領域にある靖国神社への、マナーとしてである。)

遊就館。昔に行っている。そのときは、桜花の展示が最初にあったのを、鮮明に覚えている。

新しくなって、桜花の展示は、最後の方に移動されている。そのかわり、最初に登場しているのが、いわゆるゼロ戦(零式艦上戦闘機)。そして、もうひとつが、泰緬鉄道。

泰緬鉄道……私ぐらいの年代であれば、連想するのは、クワイ河マーチ、映画『戦場にかける橋』である。今、Wikipediaで見ると、映画はかなり脚色してあり、事実とは違うらしい。

遊就館の展示を見ていって、私の近現代史についての知識の範囲では、ウソの展示はない。確実な事実のみが、厳選して展示してある。だが、淡々たる事実の列挙が、強烈な、メッセージを形成していることは確かである。ただ、個人的には、その歴史観を、全面否定するものではない。

事実をもって語らしめる、ということの恐ろしさがここにはある。事実はすべてではない。意図的に選択した事実である。ウソは無いから、本当のことである、とは言えない。何を事実として選ぶか、歴史観、価値観の課題がある。

アーカイブズ学は、未来のために記録を残す。では、何をもって、残すべき記録をえらぶのか。アーカイブズ学の専門性とは、いったいどこにあるのか。

なお、施設としては、遊就館は、M(ミュージアム)に該当する。A(アーカイブズ)ではない。しかし、だからといって、未来に残すべき、記録(事実)とは何であるべきかの議論の対象にならない、ということはない。

展示のなかに、太田実(海軍少将)の最後の打電があった。

沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

これは、未来のために(いや、それ以前に、今の我々のために)残すべき記録であり、公文書ではないのであろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)
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