口訣研究のあり方から学ぶもの
2010-07-15


2010-07-15 當山日出夫

さて、永崎さんのコメントについてすこしこたえておきたい。

世界の人文情報学を見渡せばたしかにそのとおり。一方で、今の、自分の足下をみると、韓国での口訣(くけつ)研究のあり方と、日本での訓点語研究のあり方との間に、非常な落差を感じるのである。

一般論として言えること、現実の自分の専門領域で何がどのように進行しているかの、視点の違いといえばいいだろうか。

日本における訓点語研究は、その学会(訓点語学会)が、先年、第100回の記念をむかえるほどの歴史をもっている。そうであるがゆえにであろうか、なかなか、古い発想から抜け出せないでいる面がないでもない。非常に緻密な研究がおこなわれているのではあるが、その全体的な枠組みが、どうしても、閉じたなかにある(と、言ってもいいだろう。)

一方、韓国では、口訣資料の発見自体が、比較的新しく、それが、ちょうど、世の中にコンピュータが普及するのに合わせた形で、研究が形成されていった。したがって、はじめから、資料のデジタル画像があり、それを、研究者が共有し、みんなで見ながら、共同で研究をすすめていく。また、その釈文(解読)のデータについても、コンピュータで処理できるように、テキストデータ化が進行している。

この落差には、やはり、いささかおどろく、というか、どうにかしなければならないと、思うのである。

人文情報学をかかげるのはいいのであるが、自分自身の専門領域で、それが発揮できないもどかしさ、とでもいえばいいのであろうか。たしかに、日本における資料の保存・伝存を考えると、韓国のように、そう簡単にデジタル化して共有のものに、というわけににはいかない面もある。特に、古社寺に伝来してきたような資料についてはそうである。

そのような事情がわかっているとはいえ、それでも、なお、もどかしさを感じる。日本国内においても、分野ごとにおける、デジタル化へのとりくみの温度差と言ってしまえばそれまでかもしれない。だからといって、放置していいわけではないだろうし、どうにかしなければならないと思う。

ある特定の分野に限っていえば、韓国でのデジタル化へのとりくみから、学ぶべきものが多くあると思う次第である。

當山日出夫(とうやまひでお)
[デジタル・ヒューマニティーズ]

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