E・H・カー『歴史とは何か』
2016-06-04


2016-06-04 當山日出夫

E・H・カー(清水幾太郎訳).『歴史とは何か』(岩波新書).岩波書店.1962
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/41/8/4130010.html

古い岩波新書が新しくなった。ベストセラー、ロングセラーのうち、古く出版されたもの……だいたい半世紀ぐらい前になるのが多いが……について、改版して、つまり、活字(というのは実は今はもう無い、コンピュータ組版である)を新しくして、組み直して新しく版をつくって、きれいない本にしたものである。実際に読んでみると、格段に読みやすい。文字がきれいであるし、しかも、ひとまわりフォントサイズが大きくなっている。

『論文の書き方』(清水幾太郎)、『日本の思想』(丸山真男)、『知的生産の技術』(梅棹忠夫)などである。

これらの本(岩波新書)、奥付を見ると、改版しているにもかかわらず、「刷」を通し番号で表記してある。これは、ちょっとおかしいと思う。

『歴史とは何か』であれば、(私の持っている本について見れば)、

1962年 第1刷発行
2014年 第83刷改版発行
2015年 第84刷発行

とある。この2015年のものは、

2015年 改版第2刷発行

でないと、いけないと私は考えるのだが、どうだろうか。「版」が違えば、別のものなので、その「版」における「刷」を明記すべきだろう。

閑話休題。『歴史とは何か』である。これは名著である。読み直すのは、何年かぶりであろう。いや、はっきり言って何十年ぶりになる。昔、読んだのは、高校生のときか、大学生になってからか。

以前にちょっとだけ書いた、

野家啓一.『歴史を哲学する−七日間の集中講義−』(岩波現代文庫).岩波書店.2016
[URL]

を読んだのをきっかけに、再読してみようかという気になった。読んでみて、やはり名著である。しかし、その名著たるゆえんは、その若い時にはわからなかったと言ってよい。自分なりに、微々たるものではあるが、研究者として、なにがしかの仕事を積み重ねていった上で、あらためて読んでみると、この本の素晴らしさを実感できる。若い時に読んでおくことはもちろん、ある程度としをとってから再読して、その価値のある本である。

この本についての言及は、いろんなところで目にした記憶がある。いわく、「歴史とは現代との対話である」。このようなことは知識として知ってはいた。だが、改めて読み直してみて、その意味することの重要性を理解できたように思う。

読みながら付箋をつけた箇所を、ちょっと引用してみよう。

「事実というのは、歴史家が事実に呼びかけた時にだけ語るものなのです。」(p.8)

「歴史家の解釈から独立に客観的に存在する歴史的事実という堅い芯を信じるのは、前後顛倒の誤謬であります。」(p.9)

このような言い方を見ると、歴史的事実とは研究者が作り上げた仮構であるかのような印象をもってしまう。だが、そうではないと、指摘する。

「見る角度が違うと山の形が違って見えるからといって、もともと、山は客観的に形のないものであるとか、無限の形があるものであるとかいうことにはなりません。」(p.34)

また、「歴史家」も「歴史」の中にあることに自覚的であるべきとの指摘もある。

「歴史家は個人であると同時に歴史および社会の産物なのです。歴史を勉強するものは、こういう二重の意味で歴史家を重く見る道を知らねばならないのです。」(p.61)

それから、次のような指摘もある。

「今日でも、古代史および中世史の魅力の一つは、私たちが使う一切の事実が手の届く範囲内にあるという錯覚を与えてくれるからではないでしょうか。」(p.11)

このような指摘は、研究者と、そのあつかう資料との関係において、深く反省すべき点であると思う。


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