『漱石紀行文集』「倫敦消息」
2016-07-28


2016-07-28 當山日出夫

岩波文庫の『漱石紀行文集』について続きを書くことにする。

藤井淑禎(編).『漱石紀行文集』(岩波文庫).岩波書店.2016
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「満韓ところどころ」については、すでに触れた。
やまもも書斎記 2016年7月27日
『漱石紀行文集』「満韓ところどころ」
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さきにふれた「満韓ところどころ」が日露戦争後のものであるならば、「倫敦消息」は、逆に、日露戦争よりも前のもの。そのタイトルのとおり、漱石がロンドンに留学していたときのものである。

読んでみると……特に「満韓ところどころ」と比較してであるが、日本というもののおかれた国際環境への視点が興味深い。

「満韓ところどころ」は、「一等国」である日本という意識がかいまみれるように私は読んだ。漱石自身にそのような立場には批判的だったのかもしれない。しかし、『朝日新聞』の読者と共有する価値観としては、日露戦争後の一等国になった日本という意識があった、そのように見ることもできよう。

ところが、「倫敦消息」には、そんな一等国意識はまったく見られない。まだ、東洋の果ての二流国家の国民、そんな意識がみてとれる。

「この間ある店先に立ってショーウィンドーの中を覗いていたら後ろから二人の女が来て、least poor Chinese と評して行った。僕は斯ういう形容の言葉を怒るよりも甚だ珍らしく聞いた。ある公園では男女の二人連れが、あれは支那人だいや日本人だと云い争っているのを見受けた。二、三日前は去る所へ呼ばれて絹帽にフロックで出掛けたら、向こうから来た二人の職工見たようなものが、a handsome Jap と冷嘲して行った。」(p.148)

ここには、日清戦争に勝ったとはいえ、中国に対する優越感のようなものはうかがえない。この意味では、日露戦争後の「満韓ところどころ」と非常に対照的である。解説によると、明治34年の作品。

あるいは、この作品「倫敦消息」が、『ホトトギス』掲載ということもひとつの理由に考えられるのかもしれない。どういう価値観を読者と共有するかによって、その表現もかわってくる。このように考えるならば、『ホトトギス』の読者にあっては、日清戦争に勝ったからといって、そう簡単に世界……当時、ロンドンは世界一の都市のひとつであったろう……が、一等国としてみとめてくれるはずはない。せいぜい中国と並ぶ程度である。このような意識を見てとることもできようか。

日露戦争前の『ホトトギス』の限定的な読者、それから、戦争後の『朝日新聞』の広範な読者、ということも、漱石が、日本というものを世界のなかで、どのような位置で描くか、ということに関係しているのかもしれないと思える。

だが、ともあれ、一人の人間の目をとおして、近代の日本の自己認識……他国からどのように見られてみるか……の、移り変わりを、ここに見て取ることも、あながち、無理なことでもないように思われる。この意味では、『漱石紀行文集』として、「満韓ところどころ」と「倫敦消息」は、あわせて読むと、興味深いものがある。

なお、漱石のロンドン滞在をめぐっては、次の本がある。

末延芳晴.『夏目金之助 ロンドンに狂せり』.青土社.2016
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この本については、また、別に書いてみたい。

[文学]

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