半藤一利『荷風さんの昭和』
2016-09-26


2016-09-26 當山日出夫

半藤一利.『荷風さんの昭和』(ちくま文庫).筑摩書房.2012 (原著、『荷風さんと「昭和」を歩く』.1994.プレジデント社 文藝春秋.『永井荷風と昭和』(文春文庫).2000.文藝春秋)
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「歴史探偵」を自称する著者が、仕事(文藝春秋での編集者)をやめて、独立して最初に書いた本、とのこと。はじめプレジデント社で出て、その後、改題して文春文庫で出て、さらに改題して、ちくま文庫になっている。ちくま文庫には、『荷風さんの戦後』がすでにあるので、それにタイトルを合わせたものである。

私のこれまでの読書をふりかえれば、永井荷風の作品を読むよりも、荷風について書かれたものを読む方が多くなってきているような気がしている。その転機となったのは、

川本三郎.『荷風と東京−『断腸亭日乗』私註−』.都市出版.1996

あたりからかなという気がしている。

この本、おわりの「あとがき」から読んだが、参考文献に『荷風と東京』(川本三郎)はあがっていない。そう思って確認してみると、半藤一利のこの本は、1994に出ている。川本三郎の本は、1996。これでは、参考文献に出てこないのも無理はないと納得した次第。

上述のように、今の私としては、荷風の作品を読むよりも、荷風について書かれたものを読むことの方が多くなってきている。また、その方が面白いような気もする。無論、『断腸亭日乗』も、岩波書店版(「荷風全集」からのもの)を持っているし、岩波文庫の抄録版も読んではいる。もちろん、『〓東綺譚』『あめりか物語』『ふらんす物語』など、文庫本で若いときに読んだものである。また『珊瑚集』なども手にとったりしていた。

ここまで書いて確認のため、ジャパンナレッジで『珊瑚集』を検索してみたが、ヒットするのは一件だけ(『日本大百科全書』)だった。岩波文庫版も、いまではもう売っていないようだ。

ところで、この本『荷風さんの昭和』は、「歴史探偵」の視点で書かれている。特に筆者が、文藝春秋をやめて文筆業で生きていくことのスタートとなったのがこの本であることを考えると、「歴史探偵」を自称したことの意味が、重みをましてくる。

歴史家、歴史学研究者ではない。かといって、小説家、歴史随筆の類でもない。史料、研究書にもとづきながらも、自由に、そして読者の読みやすいように、歴史のできごとのなかを探索して歩く、そんな意味があるのだろうと思う。ここからは、「歴史とは何か」ということを考える、一つのヒントがあるようにも思える。

「歴史探偵」は史料批判もおこなう。たとえば、

生前に刊行では、
「五月三日、雨。日本新憲法今日より実施の由なり」
とあるものが、死後のものでは、
「五月初三。雨。米人の作りし日本新憲法今日より実施の由。笑う可し」
となっているとのこと。(p.17)

「日記」だからといって事実が書いてあると鵜呑みにしてはいけない。その書き手がどのような思いで、その時代を生きてきたのか、そこをくみ取って読んでいかなければならない。この本は、このような姿勢で、『断腸亭日乗』を読み解きながら、荷風によりそって、昭和(戦前)という時代を眺めたものになっている。この戦前の『断腸亭日乗』からは、その時代をみてとることができる。(このことは逆に言えば、戦後になってからは、そうではなくなってしまうことを意味するのだが、それについては、また改めて書いてみたいと思う。同じ著者の『荷風さんの戦後』がある。)


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