『定本日本近代文学の起源』柄谷行人
2017-02-20


2017-02-20 當山日出夫

柄谷行人.『定本日本近代文学の起源』(岩波現代文庫).岩波書店.2008 (岩波書店.2004)
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この本の初版は、1980年(所収の、初版あとがきによる。)

今から30年以上も前の本である。初版が出てから、幾度か版を変え、あるいは、外国語版(翻訳)があって、それへのあとがきを追加などがある。この岩波現代文庫版が、最新のものということになる。

この本を再び読んでみたくなったのは、武田徹が、『日本語とジャーナリズム』で言及していたからである。再度、自分の目で、読んで確認しておきたくなった。

やまもも書斎記 2016年12月28日
武田徹『日本語とジャーナリズム』
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この本からは、次の二ヶ所を引用しておきたい。

「つまり、表現されるべき「内面」や「自己」がアプリオリにあるのではなく、それは「言文一致」という一つの物質的形式の確立において、はじめて自明のものとしてあらわれたのである。かつてのべたように、「言文一致」とは、言を文にうつすことではなく、もう一つの文語の創出にほかならなかった。したがって、単に口語的に書く山田美妙や二葉亭四迷の初期の実験は、森鴎外の『舞姫』(明治二三年)が登場するやいなや、たちきえるほかなかった。」(p.170)

「これまでにもくりかえし述べたように、私は「文学史」を対象としているのではなく、「文学」の起源を対象としている。」(p.149)

だが、そうはいっても、この本は、「文学史」として読まれてしまうことになる。これは、その「起源」を尋ねることが、おのずと「歴史」を語ることになってしまうからである。そして、これは、筆者には不本意なことかもしれないが、現代において、本書を除いて、手軽な「近代文学史」がほとんど無い、ということもある。

さらに引用するならば、次の箇所になるだろうか。

「明治二十年代における「国家」および「内面」の成立は、西洋世界の圧倒的な支配下において不可避的であった。われわれはそれを批判することはできない。批判すべきなのは、そのような転倒の所産を自明とする今日の思考である。(中略)「文学」、すなわち制度としてたえず自らを再生産する「文学」の歴史性がみきわめられなければならないのである。」(p.137)

このような視点たったとき、今、私の考えることとしては、日露戦争後の文学としての、夏目漱石の諸作品……漱石は、ほとんど日露戦争と同時に文学(小説)の世界にはいったと考えていいだろう……を、どう理解し、読むかということになる。

あるいは、(最近、私が読んだりしたもののなかでは)志賀直哉の作品など。明治40年すぎてから書かれている。これらの作品を、今日の視点から、どのように、読むのか、ということが問いかけられることになるのだと理解する。

ただ、私は、近代文学については、単なる読者の一人でありたいと思っているので、これ以上の言及はしない。だが、漱石などを読むとき、その文章(近代的な口語散文)の成立と、その文学とは、密接に関連しているということを確認しておけばよいと思っている。

漱石が、その小説において、どのような文章の技巧をこらしているかは、すでに少し見たことがある。

やまもも書斎記 2016年12月1日
漱石『三四郎』の野々宮と野々宮さん
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やまもも書斎記 2016年12月2日
漱石『三四郎』の野々宮と野々宮さん(その2)
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