『おんな城主直虎』あれこれ「盗賊は二度仏を盗む」
2017-06-13


2017-06-13 當山日出夫(とうやまひでお)

『おんな城主直虎』2017年6月11日、第23回「盗賊は二度仏を盗む」
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前回のは、
やまもも書斎記 2017年6月6日
『おんな城主直虎』あれこれ「虎と龍」
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あのネコは、夜は和尚と一緒に寝るのか。同じ部屋のなかで、籠にはいって寝ていた。

見どころはいろいろあったかと思うが、私の気になったところでは、

第一に、和尚が直虎に言ったことば。領主というものは頭を下げねばならないときもある、と。ただ、武断によってのみ領地を治めることはできない。まわりの戦国武将たちとの関係のなかで、自分のおかれた立場によって行動しなければならないということなのだろう。合戦場面の出てこない戦国時代ドラマとしては、直虎の生き方について、重要なことばだと思う。

第二に、仏像が盗まれたという「いいがかり」にどう対応したか。龍雲丸と和尚の計略、その場に居合わせた直虎たちの反応、このあたりも、うまく描いていたように思う。

今回のタイトル「盗賊は二度仏を盗む」は、「郵便配達夫は二度ベルを鳴らす」にちなんだものだと思うが、巧妙なタイトルであると思う。

第三に、政次の意図である。井伊のことを一番に思っているのは、直虎をのぞけば、あるいは、政次かもしれない。しかし、その思いをストレートに表現することはない。その立場(今川からの目付)から、屈折した行動をとることになる。

以上の三点ぐらいかなと思う。そして、龍雲丸であるが、やはり、武家に使える=侍になる、という選択肢は選ばなかった。侍になるかもしれないという可能性のギリギリのところで、翻意していた。

このところ、もし、井伊のもとで仕えるということになった場合、土地の領有はどうなるのだろうか。どこか所領を与えることになるのだろうか。そうではなく、龍雲丸たちは、その持っている技能によって仕え、銭を領主である井伊のイエからもらうということになるのだろうか。

つまり、土地の支配、領有、それの、安堵ということを媒介としない、封建的な主従関係というものが、どのようにあり得たのか、ということになる。

結局、ドラマでは、そのようには描かなかった。しかし、そのような可能性をはらんだ展開であったことは、見逃すべきことではないと思う。

さて、次回もまたネコは出てくるであろうか。そして、龍雲丸は再び登場することになるのであろうか。

追記 2017-06-20
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年6月20日
『おんな城主直虎』あれこれ「さよならだけが人生か?」
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[テレビ]

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