『月と六ペンス』サマセット・モーム(その二)
2017-09-23


2017-09-23 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまも書斎記 2017年9月22日
『月と六ペンス』サマセット・モーム
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読みながら付箋をつけた箇所を引用しておきたい。

「ヴァイトブレヒト博士は、ある歴史家一派と同様、人間とは一般に考えられているよりずっと邪悪な存在だと信じている。こういう書き手こそ、読者は信頼する。」(p.11)

たぶん、このようなことばの中に、作者の文学観、人生観が垣間見られると思うのだが、どうだろうか。少なくとも、この作品『月と六ペンス』については、このようなシニカルな見方があっている(と私は感じる)。

『月と六ペンス』の人間観は、人間というものをきわめて肯定的に描いていると読める。でなければ、主人公のような生き方をした人間を描くことはできない。だが、それだけではない。そのような生き方を肯定しながらも、その底にどこか冷めた人間観のようなものを感じる。

おそらく、この小説の面白さの根底にあるものは、どこかで人間の生き方というものを、冷めた視線で見る、人間観察の視点があるからにちがいない。

『月と六ペンス』は、芸術賛歌、人間賛歌という感じはしない。私は、そのようには読まない。無論、芸術の素晴らしさを描いてはいる。だが、その芸術を前にして、人間の愚かさを冷めた視点で見ているという気がしてならない。

このことは、モームの他の作品など、再度読んでから、もう一度考えてみたいと思っている。『月と六ペンス』も、機会をつくってさらに再読してみたい作品である。

[文学]

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