『國語元年』井上ひさし(中公文庫版)
2017-12-30


「清之輔 ひとつの国にひとつの言葉、それがこの南郷の理想ス。」(中公文庫.p.295)

その「ひとつの言葉」の受け皿になるのが、古代・中世から連綿として続いてきた日本語の歴史であり、それを体現しているのが文語体の唱歌、ということで理解してよいのではないか。

無論、この作品は、簡単に「全国統一はなし言葉」が実現することを描いたものではない。むしろ逆に、その難しさ、さらには、全国各地の方言の多様性と、それによって生活している人びとの暮らしへのまなざし、これを感じることができる。一方的に、国家権力によって、制定されるべきということではない。

さらに述べるならば、文語体の唱歌も、明治になってから、〈発明〉したものにほかならない。近代的な国民国家、日本として、その共同体を表象するものとしての文語体の唱歌である。これは、今日、21世紀だから、このように言い切ることができる。だが、井上ひさしが、このドラマを書いた1980年代ではどうだったであろうか。昨今のカルチュラル・スタディーズが、流行する前のことになる。

舞台版『國語元年』の唱歌のもつ意味は、その書かれた時代背景のもとに、再考察されるべきであろう。

追記 2018-01-02
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月2日
『國語元年』井上ひさし(中公文庫版)その二
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