今年読んだ本のことなど
2017-12-31


2017-12-31 當山日出夫(とうやまひでお)

今年(2017)に読んだ本で印象に残っていることなど、いささか。

一番、強く印象にのこっているのは、

中村真一郎.『頼山陽とその時代』(上・下)(ちくま学芸文庫).筑摩書房.2017(中央公論社.1971)
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である。再読になる。ちくま学芸文庫で出たので読んだ。この本について、読後感など書こうと思いながら、そのままになってしまっている。面白い本であった。

私の関心をひいたのは、頼山陽その人よりも、周辺の詩人たち。この本に引用されている多様な詩人たちの詩(漢詩)を、読んで強く共感するところがあった。〈詩〉というものを感じながら、その引用作品を味わった。

近世の漢詩に、近代の詩歌に通じる、いや、それに先んじた近代的詩情を感じる……これは、中村真一郎も指摘してることである……ことに、新鮮なおどろきがあった。そして、老年にさしかかっても、まだ、そのような〈詩〉を感じうる自分自身に気付いたことでもあった。

さらに、〈詩〉といえば、

鹿島茂(編).『あの頃、あの詩を』(文春新書).文藝春秋.2007
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これについては、

やまもも書斎記 2017年11月23日
『あの頃、あの詩を』鹿島茂(編)
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これを読んで、「詩」を読んでみたくなった。昔、国語の教科書に載っていたような近現代詩や短歌などである。今でも売っている、岩波文庫、新潮文庫などの詩集を買ったり、古本で「日本の詩歌」(中央公論社)を買ったりしてみた。

そのうちいくつかについては、ブログに書いたりもした。たとえば、

やまもも書斎記 2017年12月22日
『高村光太郎』「日本の詩歌」
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今年(2017)、広義の「文学」……狭義の文学作品、小説などにとどまらず、歴史、哲学といった広い分野……を読んで、時間をつかおうとおもった。そのなかで、感じたことは、「文学」の根底にあるものは〈詩〉である、ということである。〈詩〉を感じないでは、「文学」を読んだことにはならない。

だからといって、詩歌、短歌、俳句、漢詩を読むということでもない。それらを〈詩〉として鑑賞しうる心のもちかた、自分自身の感性の問題としてである。

来年は、〈詩〉という「文学」の原点にたちかえって、読書ということに時間をつかっていきたいと思っている。

[読書]

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