2018-08-17 當山日出夫(とうやまひでお)
原民喜.『原民喜全詩集』(岩波文庫).岩波書店.2015
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さきに、『夏の花』について書いたとき、『羊と鋼の森』での原民喜への言及を引用しておいた。それを、再度確認しておきたい。
やまもも書斎記 2018年8月10日
『夏の花』原民喜
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「明るく静かに懐かしい文体。少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」
(p.65)
原民喜の全集を確認したということではないので、このことばがいつ書かれたものか知らない。ただ、この原民喜のことばは、新潮文庫の『夏の花・心願の国』の解説(大江健三郎)でもひかれている。
この原民喜のことばは、『夏の花』にやはりふさわしいと感じる。あるいは、それ以前の散文詩のいくつかにおいて、と言ってもよいであろうか。
『原民喜全詩集』を読んで感じるのは、まことに繊細な詩心と言えばいいだろうか。特に、初期のものにそれを感じる。萩原朔太郎などに代表されるような、近代の憂愁というのとは、ちょっとちがっている。が、それに通じるところのある、かそやかな、しかし、芯のつよい叙情性である。
もし、原民喜が、原爆という体験を経ていなければ、昭和の抒情詩人の一人として、名前を残しているにちがいない。いや、原爆という体験のあることがわかって読んでみても、原民喜の詩の叙情性は素晴らしい。純粋テクストの立場にたつことは難しいことかもしれないが……いや、原爆という体験のあることを知って読むと余計にというべきかもしれないが……その叙情性には心うたれるものがある。
岩波文庫版の解説を書いているのは、若松英輔である。その解説の冒頭でリルケに言及した後、次のようにある。
「詩人とは、単に詩を書き記す者の呼称ではない。むしろ、詩によって生かされている者にのみささげられるべき名なのだろう。民喜は詩人である。」(p.186)
『夏の花』は、詩人の作品であると強く感じる次第である。
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