『罪と罰』(2)光文社古典新訳文庫
2019-01-03


2019-01-03 當山日出夫(とうやまひでお)

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ドストエフスキー.亀山郁夫(訳).『罪と罰』(2)(光文社古典新訳文庫).光文社.2009
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続きである。
やまもも書斎記 
『罪と罰』(1)光文社古典新訳文庫
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第二巻(作品でいえば、第三部、第四部)であるが、これも一気に読んでしまった。ドストエフスキーの作品が、こんなにも面白いものであったのかと、今更ながら認識を新たにする。

この巻の読みどころとしては、次の二つが印象に残る。

第一は、ラスコーリニコフとソーニャが対面する場面。ここで、ソーニャは、ラスコーリニコフに聖書を読んできかせる。あいにく、キリスト教、また、聖書についての知識がないので、ここのところの宗教的な意味はよくわからないというのが正直なところである。しかし、ここでのソーニャのとのシーンが、後のラスコーリニコフの罪の意識への伏線になっていくことは理解されるところである。

第二は、それに続いて、ラスコーリニコフと予審判事とのシーン。ここでの予審判事の台詞(かなり長い)を読みながら、これを聞いているであろう、作品中のラスコーリニコフに共感してしまう思いがある。

以上の二点が、何度目になるだろうか、『罪と罰』を読み直してみて、印象に残っているところである。

それから、第一巻のところで、ふれた、作品を描く視点のことについていえば、この第二巻(第三部、第四部)になると、記述の視点がさらに自由度をましている。母と妹のことを描いたかと思うと(もうここでは、ラスコーリニコフから完全に離れている)、スヴィドリガイロフ(ソーニャを追ってきた男)の心のうちにまで入り込む。だが、小説全体としては、基本的に、ラスコーリニコフによりそっている。

以前、読んだときには、メインのストーリーとなる、ラスコーリニコフの心の変化に注意して読んだと覚えている。今回、読んでみたところでは、傍系の話しといってよいかもしれない、妹(ドゥーニャ)のことなどが、たくみに筋立てのなかに織り込まれていることに気付く。

次は、最後の第三巻である。楽しみに読むことにしよう。

追記 2019-01-04
この続きは、
やまもも書斎記 2019年1月4日
『罪と罰』(3)光文社古典新訳文庫
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[文学]

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