2019-03-26 當山日出夫(とうやまひでお)
『いだてん〜東京オリムピック噺〜』2019年3月24日、第12回「太陽がいっぱい」
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前回は、
やまもも書斎記 2019年3月19日
『いだてん』あれこれ「百年の孤独」
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四三は、最後までマラソンを走ることができなかった。
このような選手を、このオリンピックを描くことになるドラマで最初の主人公にもってきたきた意図はどこにあるのだろうか。それは、まさしくオリンピックの精神……参加することに意義がある……これを描くことに他ならないと感じる。
また、印象的に描かれていたのは、四三の故郷である熊本における応援の様子。まだ、ラジオもない時代である。四三のレースの様子がどうであるかもわからない。しかし、熊本の人びと、なかでもスヤは、懸命になって四三を応援する。
四三は、熊本とつながっている。日本を代表して参加し、日の丸のユニフォームを着てはいるが、その日本の国は、四三を応援しているということはない。参加のための費用も自弁であった。だが、熊本の人びとは四三を応援する。
日本人として初めてオリンピックに参加し、マラソンを走った四三に、ナショナリズムのプレッシャーは感じられない。いや、本人は、それを感じているように描いてはあったが、しかし、それよりも、一人の人間として、オリンピックという晴れの舞台に出場すること、その競技に参加することの充足感を、深く感じているようであった。
ここまでこのドラマを見てきて、マラソンを走ることができなかった四三に対して、「よく頑張った」という気になる。これこそ、このドラマで描こうとしているオリンピックというものなのであろう。
ところで、やはり面白くないと感じるのが、落語家(志ん生)の部分。はっきりいって今のところ、この落語家についてのストーリーが面白くない。だが、これも、次の時代のオリンピック……それを代表するのが、ベルリンの「民族の祭典」であろう……において、たかがオリンピック、たかがメダル、と毒をもって笑いとばすことになるのかもしれない。あるいは、逆に、志ん生ですら熱狂することになるのが「民族の祭典」、という展開になるのかもしれない。このあたり、どうなるか、楽しみに見ることにしよう。
追記 2019-04-02
この続きは、
やまもも書斎記 2019年4月2日
『いだてん』あれこれ「復活」
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