『腰ぬけ愛国談義』半藤一利・宮崎駿
2019-07-15


2019-07-15 當山日出夫(とうやまひでお)

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半藤一利.宮崎駿.『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』(文春ジブリ文庫).文藝春秋.2013
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ちょうど今、NHKの朝ドラで『なつぞら』を放送している。主人公(なつ)は北海道の十勝で育って、東京に出てきてアニメーションの仕事をしている。昭和三〇年代のことになる。この分野における女性のパイオニアである。

このドラマを見ているせいもあって、アニメーションへの興味があった。それに、半藤一利の本は、『昭和史』『日露戦争史』など読んでいる。村上春樹の本を読む合間にと思って手にしてみた。

思うところを記せば、次の二点ぐらいになるだろうか。

第一に、アニメーションは嘘を描いている。このことに、作者(宮崎駿)は自覚的である。

この対談は、『風立ちぬ』の公開にあわせて、その前後の二回にわけて行われている。映画を見る前と、見た後である。

『風立ちぬ』は、私は映画館では見ていない。というよりも、ここ一〇年以上、いやもっとになるか、映画館に行くということがない。テレビで放送するのを、録画しておいて、後日見るということが多い。『風立ちぬ』も、テレビの録画を見た。

昭和の戦前の時代から、戦争の時代へと、飛行機の設計にあたる堀越二郎が主人公になる。それに、菜穂子という女性が出てくる。映画は、関東大震災からスタートしていた。関東大震災から、ある意味で、昭和の時代が始まったという歴史の見方である。

そこで時代考証ということが問題になる。ここで、作者(宮崎駿)は、かなり大胆な虚構で描いているらしい。このことについて述べたくだりが面白かった。

また、アニメーションの絵というものは、そんなに大きな用紙に詳細に描くものではないらしい。今、テレビが、4Kだとか、8Kだとか、高精細をうたっている時代なのだが(この対談が行われたときには、まだそのようなものは登場していない)、実際に人間が映画館で見るスクリーンにどの程度の精度の絵を描いてみせるかということになると、かなりアバウトなところがあるようだ。

声優の選定については、その声の実在感が重要であることなど、いろいろとアニメーション制作の事情が分かって楽しい。

第二に、この対談の本筋とはあまり関係ないかもしれないが、『草枕』(夏目漱石)と堀辰雄について、かなり言及してある。半藤一利も、宮崎駿も、『草枕』が漱石で一番の作品であるという。実は、私は、『草枕』は、若いときに読んだことはあるのだが、その後、現在にいたるまで、読者ということではなく過ぎてきてしまっている。漱石の作品は、『三四郎』以降の作品を、何年かおいてまとめて読み直すということをしてきている。しかし、初期の作品は、このごろではあまり読むことがない。

この対談を読んで、久しぶりに『草枕』を読んでおきたくなった。

それから、堀辰雄。堀辰雄については、半藤一利が、神西清のことばとして次のように記している。付箋をつけた。

「詩を散文で書ける人というのは日本に何人もいないんだよ。そのなかでいちばん優秀なのが堀辰雄だ」(p.153)

堀辰雄も、若い時に、一通り読んだ記憶はあるのだが、最近は手にしていない。これも、主な作品ついて、再度、読み返しておきたくなった。

以上の二点が、この対談を読んで思うことなどである。

さらに書くならば、半藤一利も、宮崎駿も、これからの日本は、もう経済発展する国ではないと、見極めている。東洋の小さな国として、近隣の国々との友好関係のなかで生きていくしか道はない、ということでは、意見が一致しているようだ。


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