『太平記』岩波文庫(五)
2020-02-17


2020-02-17 當山日出夫(とうやまひでお)

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兵藤裕己(校注).『太平記』(五)(岩波文庫).岩波書店.2016
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続きである。
やまもも書斎記 2020年20月10日
『太平記』岩波文庫(四)
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岩波文庫本で読んできて、ようやく五冊目である。巻三十から三十六までをおさめる。

はっきりいって、『太平記』をここまで読んできたのだが、どちらの人物が北朝で、どの人物が南朝の側なのか、さっぱりわからないでいる。しかし、読んでいると、奇妙に面白い。それは、この作品のもつ、独特のことばのリズムというものに起因するのだろうと思う。

おそらく、『太平記』は、いろんな読み方ができる。歴史学の方面から史料として見ることもできよう。また、文学研究の方面からは、軍記物の一つとして、さらに、これが読まれた近世、近代の受容史の問題として読むこともできる。無論、(これは私の専門になるのだが)中世の日本語資料として見ることもできる。たぶん、この三つの要素を総合して読んで、はじめてこの作品を本当に分かったといえるのかと考える。

ところで、私が読んだ興味、関心からすると……あまり歴史学の方面の知識が無いせいか、歴史叙述としては、面白いとは感じないでいる。それよりも、歴史を語った文学としては、余談とでもいうべきことになるのかもしれないが、和漢の故事を披瀝したところとか、あるいは、怪異譚の類であるとか、天変地変の記述であるとか、このようなところを読んで、面白いなあと感じる。まあ、いわば、説話的な興味とでもいえばいいだろうか。『今昔物語集』などを読んでいるときに感じる面白さに通じるものがあるといっていいだろうか。

だが、この『太平記』は、『今昔物語集』とは違う。『平家物語』とも違う。中世も室町という時代であるからこその、その時代の精神とでもいうべきものを感じる。そのひとつが、『太平記』といえば出てくる用語である「ばさら」かもしれない。

この五冊目を読んでも、「ばさら」の用例がひろえる。また、「ばさら」を体現していることになる佐々木道誉も登場する。

岩波文庫で、残りは一冊になった。このままつづけて、六冊目を読んでしまおうと思う。

2020年1月30日記

追記 2020-02-24
この続きは、
やまもも書斎記 2020年2月24日
『太平記』岩波文庫(六)
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[文学]

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