『奉教人の死』芥川龍之介/新潮文庫
2020-04-03


2020-04-03 當山日出夫(とうやまひでお)

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芥川龍之介.『奉教人の死』(新潮文庫).新潮社.1968(2013.改版)
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続きである。
やまもも書斎記 2020年4月2日
『戯作三昧・一塊の土』芥川龍之介/新潮文庫
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この本には、いわゆる切支丹ものを収録してある。

煙草と悪魔
さまよえる猶太人
奉教人の死
るしへる
きりしとほろ上人伝
黒衣聖母
神神の微笑
報恩記
おぎん
おしの
糸女覚え書

芥川の活躍した大正時代、それは日本において、切支丹……室町末期に日本に伝来し、そして、近世初期に弾圧してほろんだ……その関連する文献類の評価がたかまってきた時代でもある。具体的には、新村出のような研究者の仕事ということになる。この時代の切支丹の研究、評価、流行、というようなことが、これらの作品の背景にはあるのでだろうと思う。

読んで思うことを書いてみると、次の二点。

第一に、室町期の口語文の採用。

国語学、日本語学、というような分野の勉強をしてきた人間には、どこかで見たことのあるような文体である。具体的には、天草版の「エソポ」「平家」といったあたりになる。日本にやってきた切支丹宣教師たちが残した、活版印刷の日本語の文献である。このような文献に見られる日本語文を、まさに切支丹に題材をとって、書いた小説ということになる。

この視点においては、日本の近代における、切支丹文化研究史という観点から、これらの作品を見ることができるだろう。

第二に、文学的な評価。

確かに、題材としては、その当時において目新しいもの……切支丹……をあつかってあるにちがいないのだが、読んでみて、今一つ面白いと感じるところが少ない。また、切支丹を題材にあつかってはいるものの、芥川龍之介の宗教観といったものを、そんなに強くうかがわせるものとはなっていない。

他の作品、たとえば王朝もの……「羅生門」「鼻」など……と比べてみた場合、文学的にはあまり成功しているとは思えない。が、これもまた時期をおいて読みかえしてみるならば、また感想も違ったものになるかもしれないが。

とはいえ、これら切支丹ものを読んでも、芥川の才知、理知というものを強く感じる。また、多彩な文体を駆使していることも見てとれる。芥川ならではの、文学の才というものを感じ取ることのできる作品群であるといえよう。

以上の二点が、読んで思ったことなどである。

切支丹文献の研究ということでは、近年、国語学、日本語学の分野においても、非常に研究がさかんになってきている。この流れのなかにあって、近代における切支丹研究史のなかに、どう位置づけるか、これからの課題であるといえるだろうか。(あるいは、このような研究はすでになされているのかもしれないが。)

2020年3月18日記

追記 2020-04-04
この続きは、
やまもも書斎記 2020年4月4日
『河童・或阿呆の一生』芥川龍之介/新潮文庫
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[文学]

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