『風と共に去りぬ』(四)マーガレット・ミッチェル/岩波文庫
2020-06-22


2020-06-22 當山日出夫(とうやまひでお)

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マーガレット・ミッチェル.荒このみ(訳).『風と共に去りぬ』(四)(岩波文庫).岩波書店.2015
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続きである。
やまもも書斎記
『風と共に去りぬ』(三)マーガレット・ミッチェル/岩波文庫
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映画化された小説というのは、どうしてもその影響を受けながら読んでしまうところがある。『風と共に去りぬ』については、前半(タラからアトランタへ、そして、アトランタの陥落、再びタラへ)と、後半(タラから、再びアトランタへ、最終的にはまたタラへ戻る)という枠組みで読んでしまう。映画は、私の見た印象では、前半の方がドラマチックな盛り上がりがあって、視覚的にも火事のシーンなど、見せ場たっぷりである。映画としては、前半の方が面白い。しかし、小説として読むと、逆に後半の方が、断然面白いと感じる。

二つばかり考えてみる。

第一には、スカーレットを軸とした、心理小説の趣が加わってくる。波瀾万丈の大事件……戦争……ということがおわって、リコンストラクション(再建)の時代のアトランタが舞台である。そこでくりひろげられる、様々な人間模様、心理のかけひき、これが実にたくみである。

第二には、やはりスカーレットの魅力である。スカーレットは、再度結婚することになるのだが、スカーレット・オハラの名前を引き継いでいる。アイルランド系移民の子であることが、その気性のなかに浮き上がってくる。作中でも、基本的には、スカーレットの名称で登場し続けることになる。スカーレットは、アトランタの男たちのなかで、自立した女性として生きていくことになる。

以上の二点のことなど思ってみる。

岩波文庫で四冊目まで読んできてであるが……今のアメリカでは、この作品は、どのように読まれているのだろうか、そのあたりがどうにも気になる。特に、黒人の描写、これがあまりにも、南部の目で見たステレオタイプという気がしてならない。それから、南北戦争において生じた、南部の人びとの北部の人びとへの憎悪、これは、今ではどうなっているのだろうか。

日本の時代とひきくらべてみるならば、この作品の時代は、ちょうど明治維新のころになる。そして、それが書かれたのは、第二次世界大戦の前。日本で、この時代のことに該当する作品として、私の知る範囲で思い浮かぶのは、『夜明け前』(島崎藤村)である。

南北戦争で分裂したアメリカという国が、改めて統一的な感覚のもとに捕らえることができるようになったのが、ちょうど第二世界大戦の前、ということでいいのだろうか。そこには、二世代、三世代の時間の経過があったことになる。

続けて第五冊目を読むことにしたい。

2020年6月1日記

追記 2020-06-25
この続きは、
やまもも書斎記 2020年6月25日
『風と共に去りぬ』(五)マーガレット・ミッチェル/岩波文庫
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