『マノン・レスコー』プレヴォ/野崎歓(訳)
2020-09-25


2020-09-25 當山日出夫(とうやまひでお)

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プレヴォ.野崎歓(訳).『マノン・レスコー』(光文社古典新訳文庫).光文社.2017
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今年の秋に読む本としては、『文学こそ最高の教養である』で取り上げられた作品を、読んでみようかと思っている。すでに読んだ作品もある。『方丈記』などは、特に現代語訳で読もうとは思わない。現代の校注本……いわゆる「原文」ということなるだろうが……で読むことになる。『失われた時を求めて』は、岩波文庫・集英社文庫で、一昨年に全巻を読んでいる。光文社古典新訳文庫の既刊分についても、すでに読み終わっている。これらをのぞいて、まだ読んでいない作品がある。これを機会に読んでみることにしたい。

やまもも書斎記 2020年7月20日
『文学こそ最高の教養である』光文社新書
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「マノン・レスコー」というと、希代の悪女というイメージをもっていたのだが、実際に読んでみると、どうも悪女ということばからは遠い印象がある。ただ、ストーリーとしては、マノンにほれこんでしまった「私」(デ・グリュ)が、身をほろぼしてしまうことにはなっている。むしろマノンは、非常に聡明な、それでいて、同時にどこか足りないようなところのあるような、奇妙な魅力をもった女性として描かれている。その魅力に、近づく男性はみなおびき寄せられて、破滅的な人生をたどることになる。マノンという女性は謎のままである。

現代の日本語訳であるので、これはこれとして非常に読みやすい。ただ、一九世紀以降のリアリズム小説ではないので、ちょっと話しの展開にまどろっこしいところを感じるところが、時としてある。だが、そう長くない作品である。ほぼ、いっきに読んでしまった。

たぶん、これが、古典的なフランスの恋愛小説というべきものなんだろうなあ……というのが、いつわらざる感想である。語り口に幾分の古めかしさを感じるといっても、マノンという女性にのめり込んでいく「私」(デ・グリュ)の、こころのうちに思わず共感して読みふけってしまうところがある。恋愛の感情というものが、なにがしか普遍性をもつものであるとするならば、確かにこの作品は、恋愛小説の古典というにふさわしい。

この本を読んでから、『文学こそ最高の教養である』の該当の章を読みかえしてみた。これが、実にすぐれた作品の解説であり、またフランス文学論、翻訳論であることに、改めて気付いた。名前は知っているが、読んではいない作品……古典……が多くある。そのうちのいくらかでも読むことで、これからの時間をつかっていきたいと思う。

COVID-19がいまだ収まらないなか、授業は再開である。ことしは、いや、ことしに限ったことではないのであるが……古典こそ読むべきでると思う。

2020年9月13日記
[文学]

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