2020-11-24 當山日出夫(とうやまひでお)
『麒麟がくる』第三十三回「比叡山に棲む魔物」
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前回は、
やまもも書斎記 2020年11月17日
『麒麟がくる』あれこれ「反撃の二百挺」
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この回で興味深かったのは次の二点だろうか。
第一に、正親町天皇。
近年の大河ドラマで天皇が登場するというのは、『八重の桜』があったと思うが、この『麒麟がくる』では、正親町天皇が重要な役割をはたしている。正親町天皇の存在が、『麒麟がくる』を面白いものにしているといってもいいかもしれない。
その正親町天皇のことばを引き出すために登場しているのが、医者の東庵ということになる。架空の人物であるが、ドラマの進行のうえでは、正親町天皇との対話シーンで重要な役どころをはたしていることになる。ここにきて、東庵という架空の人物を登場させていた意味が、ようやく明らかになるとでもいえようか。
第二に、比叡山焼き打ちと光秀。
これまでの戦国大河ドラマでは、光秀は、信長の比叡山攻撃に批判的な人物として描かれることが多かったように思う。それに対して、『麒麟がくる』では、光秀は、必ずしも神仏に弓矢をむけることを、まったく否定しているようでもない。むしろ、世の中の平安をみだす、背後にうごめく悪として、比叡山のことを見ているようである。
このような悪の巣窟としての比叡山というイメージも、これまでの戦国ドラマのなかでは異色といっていいのかもしれない。
以上の二点が、この回を見ていて思ったことなどである。
それにしても、正親町天皇と東庵の囲碁のシーン。両人とも、頭に何もかぶっていなかった。この当時の風習として、日常的になにか冠か何かをかぶっているのが当然だったろう。これは、単なるミスか、あるいは、よほど、天皇と東庵がうちとけた仲であることを示すための演出なのか、どうなのだろうか。
次回、幕府と信長との間でいろいろとありそうである。その間にたって、光秀がどんな働きをすることになるのか、楽しみに見ることにしよう。
2020年11月23日記
追記 2020-12-01
この続きは、
やまもも書斎記 2020年12月1日
『麒麟がくる』あれこれ「焼討ちの代償」
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