『ミーナの行進』小川洋子
2021-03-13


2021-03-13 當山日出夫(とうやまひでお)

禺画像]

小川洋子.『ミーナの行進』(中公文庫).中央公論新社.2009(中央公論新社.2006)
[URL]

続きである。
やまもも書斎記 2021年3月12日
『ブラフマンの埋葬』小川洋子
[URL]

谷崎潤一郎賞の作品。これは、大人のための童話だなという印象がある。

ある事情があって、岡山から芦屋の西洋館に住むことになった小学生の少女。そこには、ミーナという名の少女がいた。そこの家族。それから、コビトカバのポチ子。このちょっと変わった家族の人びとと、少女との一年ほどのものがたりである。

芦屋という場所を特定している小説なのだが、特に現実の芦屋の街を思い起こさせるとことはほとんどない。これは、空想の街でもいいようなものかもしれない。だが、岡山という場所、芦屋という場所の特定が、この作品に奇妙な安定感を与えることになっている。

時代は、1972年。ミュンヘン・オリンピックの年である。この年のできごとが、季節を追ってつづられる。1970年の大阪万博の余韻ののこる時代である。まだ、高度経済成長の時代の流れのなかにあったといえるだろうか(ただ、この小説には、このあたりのことはあまり出てこない。)それを、この小説の現代……それは、バブル経済崩壊後の日本といっていいだろう……から、昔の少女のときのこととして回想している。

この物語は、回想という形になっている。現代から、その当時のことを思い出して書いていることになっている。この回想という枠組みがあるせいで、ある時代、ある西洋館でのできごとが、一種の懐かしさと喪失感、哀惜の念とともに、情感深く描かれることになる。

谷崎潤一郎賞の作品であるが、おそらくは『細雪』をどこかで意識して書いたのだろうと感じる。失われた時代への喪失感である。谷崎は、戦前の阪神間の中流家庭に見出していたのだが、この作品は、戦後の1972年の芦屋の西洋館とそこに住む人びとのなかに設定している。

回想、思い出であるからこそ美しくもある。その美しさは、この小説のなかに出てくるものでたとえるなら、さしずめマッチ箱であろうか。あるいは、マッチの火で一瞬の間に照らし出される光景であろうか。

ともあれ、清涼な読後感のある、現代の物語である。

2021年3月4日記

追記 2021-03-18
この続きは、
やまもも書斎記 2021年3月18日
『海』小川洋子
[URL]
[文学]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット