2024年9月13日 當山日出夫
BSスペシャル 「虹の灯が照らすのは、 “同性婚”法制化 台湾の今」
台湾で同性婚が法制化されて五年になる。それにいたる経緯とその間のことがについて取材したものである。
そのように番組を作ってあるというところを考慮してみても、日本の場合と比べていくつか思うことがある。
まず、日本だと、LGBTQのことは、政治の問題として、政権を攻撃する材料に使われているという側面がどうしてもある。当事者の人びとには、そのような意図はないのかもしれない。しかし、報道などで見る限りであるが、反政府のために、その主張を利用している……という印象をどうしても持ってしまう。これは、本来ならば人権の問題として考えなければならないことについては、マイナスでしかないと思う。
無論、歴史的には、人権の主張ということは、時の政権に対する抵抗であったということはある。フランス革命がまさにそうである。だが、二一世紀の今日において、普遍的な理念としての人権が、政治の道具になってしまうのは、もうそろそろ終わりにしてもいいのではないかとも思うところがある。(ただ、世界のなかには、独裁的で人権が抑圧されている国が少なからずあるということは確かではあるのだが。少なくとも日本では、もう次の段階で考えるべきだろうと私は思う。)
同性婚ということは、それを家族として承認してほしいということである。この番組のなかで見る限りであるが、台湾は家族を大事にする国である。日本で同性婚を求める動きにも、同性愛を社会的に認知してほしいということと同時に、その人たちで家族を作りたいという希望があるものと、私は理解している。ここでは、家族というものが、人間の生活のなかで肯定的にとらえられていることになる。
一方、日本の場合だが、家族の歴史をふり返ってみると……明治以来の家や家父長制に変わるものとして、戦後になってから、夫婦と子どもを基本の単位とする家族が重視されるようになった。それが、近年になって、家族がむしろ個人としての人間を抑圧するものとして考えられるようになってきている。こども家庭庁が出来るとき、「家庭」のことばが入ることに強い抵抗があった。
同性愛だからといって結婚する必要はない、といえばそれまでであり、選択肢の一つとして、法的に認められた結婚の制度があってよい、とはいえるだろう。多数の愛人(?)とつきあう、独身主義の同性愛者がいても、別におかしくはない。
前にも書いたことだが、人間の性については、私は基本的に次のように考えている。
人間の性自認、性的指向は、基本的に生得的なものであって、自分で選ぶことのできないものである。大多数は異性愛であるが、なかに例外的に少数の同性愛の人もいる。それは、自分の意志で選択してそのようであるのではない。自分の意志ではどうにもできないこと……まず、男性に生まれるか女性に生まれるか、性的指向はどうなのか……さらには、どの国や地域に生まれるか、どんな親のもとに生まれるか、その肌の色はどんなであるか……ということについて、不利益をこうむることはあってはならない。だから、男女は平等であるべきであり、性的マイノリティも差別されてはならないし、人種差別はあってはならない。
これに対して、人間は自分の性自認や性的指向を、個人の自由意志で選ぶことができる。個人の自由意志は、この世でもっとも尊重されるべきものである。自由意志で選んだ自分の性自認や性的指向について、他者から干渉されるべきではない。だから、人間は自由に性的に生きる権利があり、それによって差別されることはあってはならない。
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