2024年11月9日 當山日出夫
『坂の上の雲』「(8)日清開戦(後編)」
録画してあったのをようやく見た。見ながら思ったことを、思いつくままに書いてみる。
日清戦争であるが、この時代の海軍では、命令のことばはどのようなものだったのだろうか。近代的な軍隊の要件としては、まずことばの統一ということがあるはずだが、明治二七〜八年の日清戦争のころは、どんなだったろうか。
秋山真之と東郷平八郎がビリヤードをするシーン。真之は、東郷平八郎に、「少将」と呼びかけていたが、この場合、「閣下」と言った方が自然かなと思ったのだが、この時代ではどうだったのだろうか。(どうでもいいことだが、私が、軍人が階級によって「閣下」と呼ばれることを知ったのは、昔の朝ドラの『おはなはん』を見てのことである。昔のことすぎて、なんのことだが分からない人は多いだろうが。)
たしかに時代は帝国主義の時代である。日本が日清戦争にふみきり、また、その前に征韓論などがあったのは、時代の流れとしていたしかたのないこととして描いている。これが、今の時代だったら、このあたりの描き方は、もうちょっと違ったものになっていたかもしれない。
正岡子規の従軍といっても形ばかりのものであったことは確かであるが、子規は、明治のナショナリズムをどう感じていたのだろうか。子規の目で見た、中国(清)における日本軍のあり方は、かなり昭和の日中戦争のころをイメージさせるものになっている。
森林太郎が登場していた。これは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』には出てこないはずである。ちょっと気になったのは、ドラマの最後のキャスト一覧のところで、名前が「鴎外」と拡張新字体(あるいは俗字体とも)を、使用して表示していたことである。JIS漢字「0208:83」によって生まれた漢字体であるが、長い間、議論の対象となった文字である。これも、今では、「〓外」と表記することが出来るようになって、その一方で、「鴎」も普通に使われる文字になってきている。
戦死者のうち、病死者が多いと言っていたが、そのなかに脚気がはじめにあがっていたのは、まあ、分かる人には分かることなのだが、やはり〓外にとって日本軍の重要な問題として認識されていたということになるのだろう。
東郷平八郎と秋山真之は、指揮官とは何かということについてことばをかわす。このときに気になったことは、指揮官と参謀の立場の違いである。指揮官は決断して命令を下すが、参謀は必ずしもそうではない。後に秋山真之がおこなったのは、作戦の立案、ということになるはずである。それを軍の命令として決断したということとは、ちょっと違うと思うのだが、このあたりのことは、軍事史の方からはどのように考えられているのだろうか。
2024年11月8日記
セコメントをする