「ナップスター事件 無料音楽サービスの衝撃」
2025-01-18


2025年1月18日 當山日出夫

アナザーストーリーズ ナップスター事件 無料音楽サービスの衝撃

私は音楽配信サービスは使っていない。時代の流れとして、オーディオもストリーミングの時代になってきていることは、理解しているつもりである、その利便性も分かるのだが、CDというものが手元に自分のものとしてあるという感覚を手放したくはない。もうこういうのは時代遅れだとは思うのだけれど。

ナップスターのことであるが、かろうじて記憶にある。音楽の違法ダウンロードということが、日本でも問題になった時期があった。(番組では言っていなかったが、MP3形式の普及で、ファイルを小さくできるようになったということも、関係しているはずである。)

一時期は、音楽はCDというパッケージではなく、ダウンロード販売で手に入れる、その場合、楽曲の一つだけでも買える、という時代があった。その時代の産物として、iPodがあったことになる。だが、APPLEは、iPodを生産中止にしてしまって、かなりになる。(まだ、私は使っているが。)

趣味の問題もあるだろうが、CDを再生するために高額なオーディオをそろえるよりも、上位機種のWalkmanにCDをコピー(FLAC)して、上等のヘッドフォンで聴いた方が、はるかに手軽に高音質で音楽が聴ける。

音楽のビジネスとして、インターネットが革命的な変革をもたらしたことはたしかである。音楽配信サービスもそうであるが、YouTubeなどが新しい表現の発表の場になってきている。これはもう時代の変化である。

ただ、今のこのような時代になって、一番もうけているのは、そのプラットフォーム企業であることも確かである。それも、ごく一部の企業の寡占状況にある。

番組で言っていなかったのだが、日本における、Winny事件のことがある。社会の価値観や文化とまったく切り離して、技術の中立ということはありえないというのが、私の考えるところである。Winnyの技術の中立性を言うならば、原爆を作る技術の中立性も言えるはずである。その技術を人間がどうつかって、何をしたいのか、それに、科学者や技術者は責任を持つべきだとまでは思わないが、その使われ方についての想像力は必要だろう。

日本のこととして思うことは、新しい技術をどう使って、新しいビジネスにつなげるのか、ということについて、社会全体として支援するという雰囲気に乏しいということは、感じるところである。インターネットの黎明期、あるいは、その前のパソコン通信、その前の、パソコンの開発、このあたりから見てきていることになるのだが、どうして日本の技術の開発が世界的にひろまらなかったのだろうか、という思いはどうしてもある。

技術の開発をビジネスに結びつけるしたたかさ、先見の明のあるビジネスマン、こういうことの問題かなとも思ってみるのだが。

放送と通信の融合とは、かなり以前から言われていることであるが、音楽産業のみならず、映像コンテンツについても、はたして日本の企業が、どれだけの存在感を示せるか、もうあまり期待しないほうがいいかもしれないと、思ったりもする。しかし、同時に、これからのウエブビジネスはどんなものになるだろうかとも思う。今では、ネット広告を見ずにすませるためにお金を払う、という時代になってきているといってもいいだろう。

ちなみに、私が最近買ったCDとしては、

竹内まりや 『Precious Days』
サイトウ・キネン・オーケストラ 沖澤のどか指揮 『ブラームス 交響曲 1
番 2番』
テレサ・テン 『テレサ・テン 生誕70年 ベストアルバム』

などである。あまりストリーミング配信で聞きたいという音楽ではないと、我ながら思っている。

2025年1月14日記
[テレビ]

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