2025年3月10日 當山日出夫
ダークサイドミステリー 魔法
HDに録画して残っていたのをようやく見た。
これはわりと面白かった。
まあ、人間の歴史というものは、そんなにすんなりと近現代に向かって合理的な方向を目指してまっすぐに進歩してきた、というわけではない。これは当たり前のことだが、やはり、きちんと認識しておくべきことだろう。
あつかっていたのは、ヨーロッパの古代から中世、近代にかけて、魔法がどのように人びとの間にひろまり、受容され、変容し、そして現代にまで、その影響がつづいている、という流れだった。
現代の魔法使いのイメージ、あるいは、魔女のイメージは、かなり新しいものらしい。特に十九世紀あたりに、現代につながるものが一般化したと言っていい。
ホウキにまたがって空を飛ぶ魔女は新しいものらしが、西欧においてホウキが男性を性的にイメージするものというのも、面白い。(私の知るかぎり、日本ではこういうことはないと思っているが。)
錬金術についての説明は、なるほどそういうものかと思ったところもある。「金」を作るのが目的というよりは、世界の物質をコントロールして、自在にあやつることを究極の目的とする。その目的は、賢者の石、を作ることにあった。そういわれてみれば、そういうものかと思う。
魔女狩りは、よく知られていることだと思うが、これについて語るだけでも、かなりいろんなことに言及しないといけないだろう。番組では、ちょっと端折りすぎかという印象があったが、これは、仕方ないか。
ヨーロッパにおける魔法の歴史をひもとけば、歴史的には、はるか古代にさかのぼるし、また、アラビア世界との交流もある。さらには、東アジア世界との交流も視野にいれないといけなくなく。これはこれで、非常に大きな研究分野ということになる。
人間はなぜ魔法をもとめるのか。身近なところでは、お金持ちになりたいとか、病気をなおしたいとか、かなり現世利益、世俗的な面もある。しかし、その一方で、この世界のなりたちの究極を知りたい、というような探究心もふくんでいる。人間の知的活動、文化ということの、根底にかかわるところに、魔法、ということがあったと考えるべきだろう。
それを、現代では、サイエンス、という方法論と、それをささえる、テクノロジー、の発達によって、かつての魔法の領域は狭められている。しかし、完全に現代の人間のこころのうちから、魔法への関心がなくなったということではない。言うまでもないことだろうが、「ハリー・ポッター」であったり、『魔女の宅急便』であったり、多くのゲームであったり、思いつくところである。
少なくとも、現代の日本のサブカルチャーのなかには、魔法や魔女というものは、いろいろと形を変えて生きのこっている。おそらく、魔法とは何であるかということを考えることは、人間が何を求めてきたのか、その知的探求の歴史の根幹にかかわることになるにちがいない。
また、西欧の魔法のことが、近代の日本にどうつたわって、どうイメージされるようになってきのか、ということも興味のあるところである。
2025年2月28日記
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