2025年6月7日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト シリーズ 核の80年(2)ヒロシマ 世界を動かした2人の少女
原爆の被害について語るとき、私は、どうしてもジレンマを感じる。その被害の悲惨なこと、深刻なことは、ことばをつくしても語りうるものではない。だが、同時に、その悲惨さを語れば語るほど、そのように強力な兵器なら持つだけの(あるいは、使う)価値がある。これほど日本人が原爆を恐れているのなら、核兵器でおどせば日本はなんとでもなるにちがいない……このように考える人間がいるだろうことである。この観点では、原爆の被害について語ることが、必ずしも、核兵器廃絶にすぐにつながるものではない、これも残念ながら現実の姿だというしかない。
この番組としては、従来の原爆の被害を強調するという作り方ではなかった。かなりこの面については、抑制した編集になっていた。
目新しい(というのも適切ではないような気がするが)こととしては、原爆の被害の様子、その調査の記録映画について、GHQは検閲していて、多くの日本人が原爆の被害の実態を知るのは、占領が終わって独立をはたしてからのことであったということを、はっきりと言っていたことである。GHQによる言論統制は、いまだにマスコミにおいては、あまり大きく語られることではない。
だが何も知らなかったということではない。永井隆の『この子を残して』の刊行は、1948年である。(学生のとき、神保町でたまたま見つけて買った本でもある。その名前は、高校生のときぐらいに覚えただろうか。修学旅行は九州で長崎にも行った。)
それから、被爆者が差別されていたこと。このことは、私ぐらいの年代(1955、昭和30年生)だと、なんとなく体験的に分かることでもある。「ピカドン」ということば(このことばは番組のなかでは出てきていなかったが)が、差別的につかわれることばであったと記憶している。被爆者への差別ということがあった、こういうことも、現代では歴史の暗黒面になってしまっているのかとも思う。
広島、長崎に原爆が投下され、日本が終戦をむかえてから、すぐに、核兵器反対となったわけではなく、それは今日にいたるまで紆余曲折の歴史があることなのである、この当たり前のことを、再確認しておく必要がある。思想にはかならず歴史がある。たとえそれが、好ましくないものであると現在の価値観から判断されるものであっても、その歴史があったことを忘れてはならない。(往々にして、自分とは相容れない立場からの歴史への発言について、歴史修正主義と非難することが多いが、まずは自分自身のよってたつ思想にも歴史があることをかえりみる姿勢が必要だと、私は思う。これはどのような立場であるにせよ、である。)
エノラ・ゲイの搭乗員が命令を拒否することはできたかもしれない。その場合は、他の兵士が代わって任務にあたることになる。その結果は変わらない。しかし、トルーマンが決断しなければ、原爆の使用はなかった。この違いをきちんと理解することが重要である。
吉本隆明の『「反核」異論』を覚えている人はもうあまりいないかもしれないが、これも歴史の一コマである。
終末時計というのは、基本的に、この世には終わりがおとづれるはずである、という黙示録なのだが、こういう発想自身が、あまりに西欧的というか、キリスト教的という印象がある。いったい誰が、これを考えたのだろうか。
2025年6月6日記
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