2025年6月16日 當山日出夫
『八重の桜』「守護職を討て!」
このドラマを見ていて、よく作ってあると感じる。最初のときも見ているので、二回目に見ることになる。
おそらく、この時代(幕末)、会津にいた人びと、そして、会津から京都に出てきた人びとは、たぶんこんなふうに思って生きていたのだろうと、納得して見ることができる。無論、細かな考証、あるいは、大局的な歴史観ということから見れば、いろいろと問題はあるにちがいない。
しかし、人間とはこんなふうに感じて生活しているものだと、見ていて共感するところがある。それが、現代ではない、幕末の時代において、少し違っているところがあって、この時代だったらこんなふうだったかもしれないと、そこは想像で補える。この微妙なさじ加減が、実に巧い。(まあ、これは、今のところである。これが、明治維新以降のことになると、またちょっと違った見方になるかもしれないが。)
孝明天皇は、史実としてはどうだったのだろうか、という気持ちはある。だが、このドラマにおける孝明天皇は、とてもかっこいい。聡明な君主(?)である。これとくらべて、ドラマのなかで貧乏くじになっているのは、徳川慶喜であろう。最後の将軍となるわけだが、必ずしも優れた資質の持ち主ということにはなっていない。まあ、徳川慶喜をどう描くかは、これまでの多くのドラマで試行錯誤があるところかと思う。(一定のイメージが固まっている西郷隆盛などに比べると、一般的なイメージとしては、振れ幅が大きいだろう。)
この回まで、八重は、まったく女らしくない。お針の稽古のシーンでも、なぎなたの稽古のように厳しい。ドラマのなかで女らしく(?)描かれているのは、照姫とか時尾などであろうか。
2025年6月15日記
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