2025年7月12日 當山日出夫
こころの時代「闘うガンディー 非暴力思想を支えた聖典 第3回 実践のヨーガ」
このシリーズは見ているのだが、今一つ納得できないところがある。それは、ガンディーの政治的な側面、具体的な活動、特にメディア戦略(今のことばでいえば)について、ほとんど語ることがないからである。
糸車を回すガンディーの姿は、たしかに人間の生き方として、一つの理想を指し示しているとは思う。これは貴重だと思うのであるが、しかし、現実には、これは明確な反近代主義でもある。だが、それと同時に、伝統的なインドの価値観、特にカーストの制度に対しては否定的である。この伝統的な意識の否定と、反近代主義、そして、それをメディア(この時代であれば、新聞やニュース映画)にどう見せることになるのか、こういうことについて、どう考えていたのだろうか。
結果的にガンディーは、インド独立をなしとげる原動力となったことは確かであるので、そこから見て、理想化して見ることにはなるかとも思う。しかし、実際にインドの独立にいたる過程には、現実的な利害打算、政治的軍事的、国際政治における判断など、さまざまなリアリズムにもとづく考え方が交錯してのことだと思う。こういう部分をまったく切り捨ててしまって、その思想的な面だけをとりだして語ることには、どうしても違和感を感じることになる。
見ていて、どうにも歯切れの悪いという印象があるのは、思想と政治的活動が混在しているところで、無理矢理、思想的な部分だけを論じようとしているからかもしれない。
別にガンディーの思想を否定するつもりはないのだが、もし、結果としてインド独立ということがなかったとしたら、現代において、その思想と活動はどう評価されることになるのだろうか。
2025年7月8日記
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