2025年8月11日 當山日出夫
『八重の桜』「慶喜の誤算」
どうでもいいことから書くと、時栄(谷村美月)がこの回から登場していたことに、改めて気づいた。最初の放送で見たときは、拳銃をかまえた場面のことは憶えていたが、これが、後に、京都での八重の人生に大きな影響をおよぼす存在になるとは、予想できなかったことになる。
慶喜は、判断を誤ったことになる……のだろうか。徳川幕府を廃して、諸侯会議でものごとを決めるといっても、実質的に、政権運営の実務的な技術を持っているのは、徳川の幕臣であったことは、誰もが認めざるをえないことだっただろう。王政復古といっても、具体的な政治(政府)の形態をどうするのか、諸外国との条約はどうなるのか、こういうことを、統幕側(薩摩、長州、それから、朝廷)は、どう具体的に考えていたのだろうか。こういうのは、歴史学として明治維新研究の大きなテーマであろう。
王政復古というアイデアは、岩倉具視の独創(?)なのだろうか。(歴史学ではどう考えられているのだろうか。)だが、革命というか、社会を根本的に作り変えようとするとき、原初にたちかえって考えるという発想は、そう珍しいものではない。そして、その原初のスタート地点をどこにもとめるか、ということも、また、近代の国家のイメージとしては、重要なことになる。
現代でも、日本における民主主義とは、というようなことを考えるときには、昭和の戦後のGHQ統治から日本国憲法の成立、というあたりを議論することが多いし、近代とは何かとなると、やはり、明治維新から考えることになる。そして、日本という「国」の成り立ちを過去のどこにイメージを投影するかとなると、おおむね弥生時代だったり、縄文時代だったりする。(その学問的妥当性という議論はあるのだけれど。)
会津の侍たちの、お殿様と藩への忠誠心、故郷に対する愛郷心(パトリオティズム)は、保たれている。これが、このまま、戊辰戦争、会津戦争へとつながることになる。
ところで、会津で八重は鉄砲の練習をしているのだが、これは今の観点から見ると、スナイパーとしての訓練としか思えない。戊辰戦争において、いや、それまでの戦国時代から、鉄砲は軍事的には、集団戦法の武器であったかと思うのだが、用兵思想というようなことを、八重や覚馬が考えたり学んだりしている、という様子ではない。鉄砲で武装した小隊や中隊として、どのように運用するかということが考えられていなければ、戦争にはならない。
軍事史的には、八重の事跡はどのように評価されることになるのだろうか。
2025年8月10日記
 
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