2025年9月2日 當山日出夫
ブラタモリ 東京大学の宝▼安田講堂&国宝!東大にしかない“宝”とは?
私の年代(1955、昭和30年生)だと、70年安保のときの、安田講堂のことは憶えている。このときのことに、学生に共感するかどうかというのは、年齢や立場によって微妙に異なることになる。私としては、まったく否定はしないけれども、その行動については、かなり批判的に見るとこもある、というぐらいだろうか。
しばらくの間、東京大学では、学会とか研究会がまったく開催できない、という時期があった。とにかく、人が集まる、ということを極力排除していた時期があった。
しかし、時がながれて、東京大学で国語学会(現在の日本語学会)があったとき、安田講堂が講演会の会場だった。時代の流れを感じたものである。
安田講堂が、東京大学の正門からまっすぐのところにあるのは計算して造ったことになるが、キャンパス内のイチョウ並木……これは、秋になるときれいに色づく……は、いつごろ整備されたものなのだろうか。おそらく、キャンパス内の植物については、その種類や樹齢などは、網羅的に調査がされているとは思うのだが、イチョウの木が、今のような大きさに育つには、かなりの年月がかかる。今のイチョウの木は、いつごろ、どのように植えられたものなのだろうか。樹木のある景観というのは、数十年先のことを見通さないと設計できないものである。(東京におけるその典型が、明治神宮ということになるだろうが。)
史料編纂所の仕事は、東京大学のなかでも、時間の流れが異なっている。非常に長い時間の中で仕事をしている。
影写の技術というのは、とても興味深い。このような場面が、テレビに映るのは、はじめてといってもいいかもしれない。
古文書もそうだが、実物を手にとってじっくりと観察することによって分かってくることがある。古典籍(写本、板本)もそうだし、美術品であったり、あるいは、自然科学の標本であったり、考古学の遺跡であったり……学術的な資料(史料)というのは、そういうものである。
デジタル・アーカイブということで、古文書も画像データとして収集する公開するということに、世の中の流れが向かっている。これは、そのとおりだと思うが、しかし、たぶん、私ぐらいの世代が、デジタル技術の以前と以後のことを、両方知っているところに位置するのかと思う。今のデジタル画像についていえば、(技術的な細かな議論ははぶくが)、まだまだ課題が数多くあることは確かである。
史料編纂所の仕事で「大日本古文書」がある。この一揃いを、数十年前になるが、ある中世史の研究者の遺族の方から、もらい受けたことがある。その他の書籍(歴史学の専門書)は、神保町の有名な古本屋が引き受けてくれたが、「大日本古文書」はいらないと言われた。理由は、史料編纂所のデータベースで利用できるようになっているので、古本としても価値がない、ということだったらしい。
たしかに、史料編纂所の古文書や古記録のデータベースは便利だし、これがないと、歴史学研究はできないようになっている。同時に、もはや、紙の本の「大日本古文書」でさえも、手に取って読むということが、必要とされない時代になってきてしまっている。
時代の流れといえばそれまでなのだが、史料・資料の実物を残し、それにもとづいて考えるということは、忘れてはならない。また、史料の翻刻(その結果としての「大日本古文書」)ということの意味、強いていえば、もとの文書の情報をどう残すかをふくめたデータのフォーマットの変換、これが、デジタルの文字列だけになってしまうことの意味、こういうことを総合的に考えること、あるいは、教育することが、必要になってきているのだと思うことになる。
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