2025年9月17日 當山日出夫
新日本風土記 松江
再放送である。最初は、2022年10月7日。
この時期に、松江の回を再放送したのは、どう考えても『ばけばけ』の宣伝のためであろうが、けっこう面白かった。
最後のシーン、石畳の道を下駄で歩く音……この音の魅力を伝えたいがため、という印象をもつ。
ただ、石畳を作る石の加工技術とか、下駄の普及ということを考えるならば、そんなに古くまでさかのぼるものではないだろうと思う。しかし、日本の日常生活のなかから、下駄の音というようなことを聴かなくなって久しいような気もする。こういう日常的な変化というのは、どのように人びとに意識されるものであり、また、記録に残るものなのだろうか。
(足音といえば、昔、京都市立美術館が床が板張りだったことを憶えている。空いた展覧会のときなど、自分が歩く靴の足音だけが聞こえたものだった。おそらく、今の新しい美術館などの作りは、足音がしないように作るということになっているだろう。)
頭屋として、神社に毎晩おまいりをする。この数年の間、精進潔斎の日常をおくらなければならない。テレビに映っていたのは、食事が別で(別火なのだろう)、ニワトリとタマゴを食べてはいけない、ということだった。おそらく、これ以外にも、いくつかの日常生活の決まり事はあると思うが、しかし、厳しいことのようだが、その中で生活してきて、それを次の世代にうけついでいこうということは、今の時代としては価値のあることに思える。
宍道湖の淡水化計画が止まったのは、見た記憶はあるのだが、その意義については、あまり考えることはなかった。(今から考えると、公共工事の自然環境への妥当性ということになるだろう。)
美保関が北前船の寄港地で栄えたというのは、そのとおりだと思うが、今では往時の繁栄はなくなってしまった、ということになるだろうか。日本海側の言い方として、少し前まで、裏日本、という言い方をしていた。私の子どものころまでは、普通につかっていた。(これに反旗をひるがえしたのが、田中角栄だったことになるだろうか。)
小泉八雲が見たのは明治の日本だったが、その頃でも、文明開化からとりのこされた(?)松江の街は、非常に魅力的に見えたということでいいだろうか。「忘れられた日本人」の生きていた時代であり、「逝きし世の面影」の残っていた時代でもあるだろう。(イザベラ・バードなどとの比較は、面白いことだと思うが。)
自分が生まれる前からあったものを、自分が死んだ後までつづけていく。見えないものの存在を感じることができる。こういうのが、文化というものであろう。
2025年9月15日記
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