2025年11月22日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト 昭和の文豪たち
この回は、あまり面白くなかった。そう目新しいことがあったというわけでもないし、何をいいたいのか分からない部分もある。(おそらく、近現代の日本の文学史については、専門的とはいえないが、普通の人よりは知識がある方だと、自分では思っているのだが。)
強いて話題を絞るならば、永井荷風と三島由紀夫ぐらいにしておいた方がよかったかもしれない。おそらく、この二人の時代への関わり方を見て掘り下げて考えてみた方がよかっただろう。
三島由紀夫の自決事件のことは、記憶している。私が、中学生のときだった。だが、本格的に三島由紀夫の作品を読むようになったのは、大学生になってからだった。「豊饒の海」四部作は、3回ぐらいはとおして読んでいるはずである。個人的には、『春の雪』『奔馬』は傑作だと思うのだが、その後の作品については、あまり感心しなかった。これも、新しく読みかえしてみれば、また、思うところは違うかと思うのだが、残念ながら、三島由紀夫は、Kindle版がまったくない。
三島由紀夫が何を考えていたのか、じっくりと考えてみたいと思うこともある。だが、そういうことよりも、三島由紀夫は、小説家として一流であったことは確かなことである。
永井荷風は、多くの人がそうかと思うが、川本三郎の『荷風と東京』『荷風の昭和』あたりによっているところが大きい。「断腸亭日乗」は、昔、岩波書店で、荷風全集の中から「断腸亭日乗」の部分だけを取り出して刊行したときのを買ってもっている。今、刊行中の岩波文庫版は、買うだけは買っているが、もう活字の小さい本を読むのがつらくなってきている。それよりも、「断腸亭日乗」については、何を書いてあるかも大事だが、何を書いていないか、その時代背景とともに読みとらなければならないので、かなり面倒な本である。
司馬遼太郎が、ノモンハン事件について、結局、小説としては書くことがなかったというのは、知られたことだと思う。しかし、そのかわり、昭和という時代、特に戦前の昭和の軍部については、多くのことを語っている。だが、これも、現代の歴史の見方からすれば、かなり偏ったものであるということもいえるだろう。
番組の中では、司馬遼太郎の統帥権干犯問題についてのことばは紹介していなかった。司馬遼太郎は、統帥権を軍部がふりかざしたことが、諸悪の根源というような見方をしている。だが、歴史の中では、統帥権干犯問題が政治の問題になったのは、昭和のはじめの政党政治の泥仕合の中で起こったことである、という方向で考えるようになってきているかと思う。
面白いのは、林芙美子である。その生いたちや、小説家としての生き方からは、この時代をしたたかに生きた女性を感じることができるだろう。
昭和と文学ということで考えるならば、いわゆる純文学という領域とは別に、大衆文学ということについても、考えねばならないし、むしろ、人びとの生活の感覚の歴史をたどる場合には、こちらの方が重要だろう。たとえば、吉川英治などは、本格的に研究する価値があるはずである。今ではもう読まれない作家になってしまったのだが。
芥川龍之介は、昭和2年に自殺している。その残してことばとして、ぼんやりした不安、というのはあまりにも人口に膾炙している。昭和の時代を語るのに、ふさわしいといえなくもないが、その使い方や解釈は、慎重であるべきだろうと思う。
夏目漱石が、本籍を北海道に移していたことは、よく知られていることである。徴兵を忌避したという解釈もできることになる。しかし、明治のころ、一般の人びとにとって、徴兵を避けるということは、ごく普通にあった考え方である。昭和の戦時中のように、だから非国民というようなことは、明治の漱石の時代にはなかったというべきだろう。
2025年11月19日記
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