2025年12月11日 當山日出夫
新日本風土記「東京 日本橋人形町」
再放送である。最初は、2024年7月。
人形町というと、昔、東京で学生だったとき、玉ひでに親子丼を食べに行ったのは憶えているのだが、それっきりといってもいい。このお店も、その後、いろいろあったようなのだが、行く機会もないままに今にいたっている。
番組の冒頭で、住民の人が、植物を育てている話しをしていた。都市部で、家の前の歩道に鉢植えなどを置いて育てている光景は、普通のものなのだが、これは、歩道を勝手に使っているということで、法的には問題ないことなのだろうか、常々気になっている。だからといって、そういうものを撤去してしまうべきだとは思わないのだけれど。
お豆腐屋さんが言っていたことで、木綿豆腐はやわらかく、絹ごし豆腐はしっかりと、ということは、そのとおりだと感じる。
お豆腐屋さんもそうだし、人形焼きもそうだが、職人の仕事が今も残っている街、ということになる。人形焼きは、昔は、ハイカラなお菓子だったらしいのだが、いつのまにか昔ながらの伝統というイメージになっている。(鯛焼き、タコ焼き、などをふくめて、こういうお菓子のことについては、どれぐらいのことが歴史的にわかっているのだろうか。)
見ていて一番興味深かったのは、刃物屋さんが話しをしているシーン。家の中の座敷だったが、背景に映っていた障子が、とても凝っていた。今どき、こんな凝った障子の家を建てるというのは、よほどの好き者(?)かもしれない。あるいは、刃物職人の美意識が、こういうところに現れているというべきだろうか。
切り絵の芸人である、今丸師匠とのやりとりも面白い。紙切りの芸は、そんなに切れすぎない、適度に遊びの部分がある鋏を使うということは、以前、何かで知ったことだが、その芸を、こういう職人さんの仕事がささえていることになる。
それにしても、お嫁入りのときに、母親が持たせてくれた包丁を、何十年も研ぎを重ねて使い続けているというのも、今どきのこととしては、とてもいい話しである。現代だと、包丁は、近所のホームセンターでいくらでも売っている。
気になることとしては、この刃物屋さんの仕事は、研いで刃を調整することである。その刃物(包丁とか鋏)を、作っているのは、各地の職人さんなのだろうが、いったいどこにどういう仕様で発注しているのだろうか。作っている職人さんたちのことが、知りたいことである。
元吉原の話題の中で、映っていた人が、「枕をひいて」と言っていた。これは、「引いて」ということなのか、あるいは、「敷いて」の「し」を「ひ」と言ったものなのか、どうなのだろうか。
この地域に昔あったのが、陰間茶屋。陰間ということばは、日本文学の歴史について、すこし勉強すれば出てくることばである。江戸時代、犯罪というほどのタブーではなかったのだが、しかし、そう堂々と一般に認められるものでもなかったか……どうもこのあたりの価値観は、時代や地域によって微妙に変わっていくものなので、現代からどう見るかは難しい。
祭りを企画して実行するのに、新しく引っ越してきた、マンションなどの住民も参加するというのは、いいこころみだとは思う。現在、都市部において、町内会ということは、封建的因習、あるいは、戦時中の隣組の遺制、ということで、とにかくマイナスの評価がされるようになってきている。
関係者があつまって、ビールなど飲みながら、うだうだとああでもないこうでもないと話しをしているなかで、なんとなく議論ができあがっていくというのは、現在の、効率重視の社会にあっては、ものすごく無駄なことかもしれない。だが、こういうことでつちかっていく人間関係が、古くからの街の歴史をささえてきたということもある。私などは、こういうところに、「忘れられた日本人」の名残を見ることが出来るかもしれないと思っている。
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