2026年1月12日 當山日出夫
『豊臣兄弟』「願いの鐘」
中世の終わり頃、戦国時代の「農民」とは、どんなものだったのだろうか。このドラマは、農民の視点から見た戦国の時代と、それが、信長から秀吉によって、天下統一へといたる過程を描こうとしている……こういうことらしいとは、理解できる。
だが、これまでにも何度も書いてきたことなのだが、農民=百姓=稲作、そして、農村における定住、これは、いくらなんでも、旧態依然としたステレオタイプにすぎるのではないだろうか。まるで、黒澤明の『七人の侍』のようである。(『七人の侍』については、歴史学の方からかなり批判的に言われているかと思っている。ただし、映画としては、傑作である。)
領主に年貢を搾り取られるか、でなければ、野盗たちが襲ってきて、収穫を奪われてしまう。それを、領主は守ってくれない。領主は、お互いの縄張り争いを繰り広げているだけである。その典型として、このドラマでは、信長ということになっている。信長は、尾張の一統を目指しているが、そこに住んでいる領民(この場合は、農民といっていいだろうが)のことは考えてはいない。
これから先の展開としては、農民の生活と気持ちが分かる人物としての、秀吉であり秀長ということになるのかと、予想する。こういう筋で作るドラマは、これで、面白いものになるだろう。
最初の回もそうだったが、戦国時代ドラマで、銭のことが、これほど多く出てくるのも、珍しいだろう。銭で、動かすことのできる人の気持ち、また、銭では動かせない人の気持ち、ということが、これからのテーマの一つになっていくだろう。普通の戦国時代ドラマだったら、銭よりも、武芸である。
鉄砲が出てきていたが、この時代に、どれぐらい普及していただろうか。
兄弟だからこそ分かることがある、また、分かってしまうことがある……これは、そうかとも思うが、あまりに都合良く、わかり合えるというのも、どうなのだろうかと、ちょっと心配でもある。わかり合えない、すれ違う気持ちがあって、いろんなドラマが生まれるということもある。
それにしても、登場人物のものの考え方が、非常に現代的である。今の時代に作った「太閤記」である。
見ながら気になったこととしては、どうして、足軽は槍を持っているのだろうか。武士、ということなら、刀となるのは、いつごろからであろうか。戦場での武器としての、刀、槍、弓、これらの歴史ということになるのだろう。
侍になる、と言って、そう簡単に身分を変えることは可能なのだろうか。農民から足軽になる、ということはあっただろうが、では、足軽=武士、ということでいいのだろうか。
日本史における武士の歴史ということは、いろいろと語られることであるが、あるいは、より重要なのは、足軽の歴史ということかもしれない。軍事史、合戦史ということと、「百姓」の歴史と、総合して考えることになるだろうか。
いろいろと思うことはあるのだが、とにかく、非常に現代的な視点で作ってある「太閤記」だと感じる。
お市は、これまで、いろんな女優さんが演じてきているのだが、私の好みとしては、北川景子がよかったと思う。ある意味での凄みがあった。宮アあおいもいいのだが、優しくて物わかりがよすぎる印象である。
2026年1月11日記
セコメントをする