2009/06/04 當山日出夫
佐々木閑.『日々是修行−現代人のための仏教−〇〇話−』(ちくま新書).筑摩書房.2009
この本、もろさんのブログで紹介されてている。
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仏教とは、あまり関係のない話題になるが、重要な点。
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では、「宗教の実体」とはなにか。それは、「運営」である。(中略)(1)その団体が、どういう手段で資金を調達し、それを何につかっているのか。そしてその明細をどの程度社会に開示しているか。
(p.123)
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※引用文中の「まるいち」は(1)に変更。
今の日本の宗教の教団のことはさておく。歴史的にみて、これを、実践してきている、教団がある。イエズス会である。
私が学生の時、直接その授業にでて、いまでも、「先生」と呼びたい人はすくない。が、そのなかの一人が、高瀬弘一郎先生。日本キリシタン史の研究である。
イエズス会は、16〜17世紀の、東アジアでの、生糸貿易にかんする史料を、いまでも残している。そして、公開している。(高瀬先生によれば、イエズス会の活動をささえた資金源は、日本と中国との間の生糸貿易。信者による喜捨によるばかりではない。)
イエズス会が残した史料によれば、決して、日本や日本文化に対して、好意的であったとは言えない。しいていえば、宗教としては、都合の悪い史料になる。しかし、それでも、そのような史料を、アーカイブズとし、公開している。そして、その歴史は、過去、数百年にさかのぼって連続している。
ところで、思うこと。なぜ、「宗教」というのは、宗派・教団に分裂するのであろうか? 非常に素朴な疑問であるが、重要な点であると考える。
また、仏教は、超越者を認めない合理主義である、これは確かにそうかもしれない。だが、その歴史的な変遷の過程で、超越者を生み出してしまったがゆえに、宗教になった、という、逆説的な見方もできる。
合理的思想によってのみ、宗教は成立しうるか、という問いかけをもって読むべき本である、これが、とりあえずの読後感。
當山日出夫(とうやまひでお)
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