『街場の天皇論』内田樹
2017-10-09


今から思い返してみれば、昭和天皇崩御の時の、狂おしいばかりの国民的な熱狂とでもいうべきものを経たからこそ、それを経過したものとしての平成の時代の天皇制があり得たのだと思う。個人的な感慨としては、昭和天皇という方は、やはり昭和という時代を背負っていた。崩御のときの国民的熱狂によって浄化された、あるいは、昇華されたものとして、今の平成の象徴天皇制があるように感じている。昭和の末期、昭和天皇崩御の事件は、国民的祝祭であったともいえるのではないか。あるいは、日本の国民としての通過儀礼のようなものであったともいえようか。

私は、昭和天皇崩御の件を抜きにして、平成の象徴天皇制はないだろうと思う。そして、このことにふれていない、内田樹の戦後象徴天皇制論には、一抹の不満もある。強いていえば、「天皇論」といいながら、「平成天皇論」にとどまっている。

「昭和天皇崩御の研究」こそが、今、求められている。あるいは、昭和から平成にかけての天皇史が必要である。

また、この本で述べられたことを延長して言うならば、安倍首相などは、まさに君側の奸であるというべきだが、はたしてどうであろうか。


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