2017-10-09 當山日出夫(とうやまひでお)
内田樹.『街場の天皇論』.東洋経済新報社.2017
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内田樹の本は、なるべく読むようにしている。これは、好きだからというわけではなく、自分の考え方がどれだけまともであるか、判断するのにと思ってのことである。
最新刊は、『街場の天皇論』。だが、特に目新しいことが書いてあるというわけではない。特に、天皇について書いたところは、これまでに既出であるもののよせあつめ。そして、それ以外の雑多な文章については、ほとんどまともに論ずるにたえないといっておけばいいだろう。
この本の奥書の著者の紹介のところにも、「思想家」とある。いったいいつから、内田樹は思想家になったんだろう。昔、まだ、20世紀だったころ、大学でフランス語を教える先生であり、フランス現代思想研究者、あるいは、評論家、ということでとおっていたように記憶しているのだが、はてどうであろうか。それが、近年では、思想家になってしまっている。
まあ、その思想家の思想をみとめるとしよう。であるなら、もし、内田樹がこれから先にも残る思想家であるとするならば、21世紀の初頭において、保守の理念を語った人物として残ることになるだろうと思う。
その言っていることは、反体制的なものが多い。だが、だからといって、いわゆるリベラルとは違う。保守の立場である。その保守の立場としての内田樹の思想とでもいうべきものを、端的に表している本であると思って読んだ。
2016年8月8日の、今上天皇の退位の意向を示された「おことば」。ここに、戦後日本がつちかってきた、また、今上天皇が考え、実践してきた、象徴天皇としてのあり方を読みとっている。
これは、いまでも簡単にHPで見ることができる。
象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば
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その天皇論であるが……これについては、私は、かなりのところ同意する。百年、千年の歴史をせおって、さらに、今から百年、千年の将来をになうものとして、今の天皇がある。その職務は、日本の人びとのために、祈ること、苦楽によりそうことである……ざっとこのような趣旨の天皇観については、深く同意するところである。
この限りにおいて、私は特段、内田樹を批判しようとは思わない。このような天皇観があってもよい。そして、それについては、私も同意である。
だが、強いて批判的に考えてみるならば、なぜ、そのような天皇が連綿と日本の国においてつづいてきたのか、その歴史的検証と考察が必要かもしれない。また、近代になってから、近代天皇制、特に、昭和戦前の天皇制が、本来の姿……と思われるもの……からゆがめられたものになってしまったことについては、厳しく批判的に考えなければならない(この点については、いくぶん言及してはあるが。)
さらにいえば、そのような、新たな象徴天皇制を育んできた、戦後日本のあゆみについても、歴史的に考察する必要があろう。私の経験からいえば、戦後の天皇制についての議論は、昭和天皇の崩御の時に、ある種のピークを迎えている。昭和天皇崩御に際しての、国民の反応、マスコミの言説、これらを今後検証していく必要があると思う。
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