『大和古寺風物誌』亀井勝一郎
2018-08-20


2018-08-20 當山日出夫(とうやまひでお)

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亀井勝一郎.『大和古寺風物誌』(新潮文庫).新潮社.1953(2015.改版)
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和辻哲郎の『初版 古寺巡礼』を読んで、次に読んでおきたくなって、手にした本である。再読、いや、再々々読ぐらいになるだろう。これまで何回か読み返した本である。

やまもも書斎記 2018年8月18日
『初版 古寺巡礼』和辻哲郎
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亀井勝一郎は、私が学生のころ……今から40年以上も前になるが……現役で読まれていた評論家であった。今、亀井勝一郎で読めるのは、この新潮文庫の『大和古寺風物誌』がある。他に、数点は、今でも読める本があるようであるが、やはり、知名度からすれば、まずこの本になるだろう。そして、この本は、今でも読まれている本である。新潮文庫は、近年になって改版して、新しい版で刊行している。

若いころ、『古寺巡礼』(和辻哲郎、岩波文庫版)を読んで、大和の古仏について書かれたものとしては、こちらの『大和古寺風物誌』(亀井勝一郎)の方が、いいと感じていたものである。何よりも、仏像を信仰の対象として見る姿勢に、共感したものである。

今になって、何十年かぶりに読み返してみて、感じることは、次の二点だろうか。

第一には、この本に掲載の文章が書かれたのは、戦時中であったこと。太平洋戦争のさなかに書かれている。主に、昭和17年ごろの文章が中心である。

その時代背景をどことなく感じさせる文章である。特に戦意昂揚というようなことはないが、自国の過去の文化への礼賛の雰囲気がただよっている。それが、特に、いやになるということはないのであるが、読んでいて、その時代背景を感じながら読むことになる。

第二には、亀井勝一郎という評論家は、左翼からの転向者であった(通俗的な文学史の理解からすれば、このような表現になる)。このことを、若い時、学生の頃、亀井勝一郎という人物の書いたものを読んだりするときには、特に意識しなかった。

だが、そのような背景がある人物であること、また、戦時中に書かれた文章であること、これらを考えて読んで見ると、保守的な浪漫主義とでもいうべきものを感じる。

以上の二点ぐらいが、久々にこの本を読んで感じるところである。若いときに比べれば、かなり批判的な目で、文章に接するようになってきていることに気づく。

とはいえ、やはりこの作品を読んで感じるのは、仏像をあくまでも信仰の対象として見ようとする姿勢にある。この部分については、今でも、共感できるものとしてあると感じる。博物館、美術館で、陳列ケースのなかで、美術品として鑑賞するのではなく、寺院、それも奈良の古寺において、古代の信仰をうけついでいるものとしての仏像に接する。この基本姿勢は、今でも、通じるものがある。

ところで、この本も、戦後になって改訂の手が加わっているらしい。そのことは、

碧海寿広.『仏像と日本人−宗教と美の近現代−』(中公新書).中央公論新社.2018
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を読んで知った。この本のことについては、改めて書いてみたいと思っている。

追記 2018-08-27
この続きは、
やまもも書斎記 2018年8月27日
『仏像と日本人』碧海寿広
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[宗教]

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