2018-11-10 當山日出夫(とうやまひでお)
プルースト.吉川一義(訳).『失われた時を求めて 4』花咲く乙女たちのかげにU(岩波文庫).岩波書店.2012
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続きである。
やまもも書斎記 2018年11月
『失われた時を求めて』(岩波文庫)(3)
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どうでもいいことかもしれないが、私の買ったのは、2016年の第4刷。今が、2018年であるから、あまり売れていないらしい。このあたりにくると、この作品に挫折する人が増えてくるということなのかもしれない・・・
だが、この巻は面白い。タイトルのとおり、乙女たちが登場する。その恋が魅力的である。
この巻を読んで私の感じたことを、率直に書くならば次の二点になる。
第一には、(このようなことをいまさらという気がしなくもないが)「ブルジョア」ということばの意味が、ようやく納得できた。これまで、社会経済史用語、歴史用語として、「ブルジョア」ということばは知っていた。また、場合によっては使ってもきた。しかし、それがどのような人びとを意味しているのか、いまひとつ得心しないでつかってきた。
それが、この巻を読んでいって、ああ、なるほど、「ブルジョア」というのは、こういう人たちの、このような生活のあり方をいうのか、と腑に落ちた。まさに、なるほどと納得したというところである。
このような読み方が出来るというのが、文学を読む楽しみというべきなのであろう。(場合によると、これは大きな誤解かもしれないのだが。)
第二には、この巻も、一九世紀的な自然主義風の叙述が、意識の流れのなかにたゆたっているという印象がある。「私」の意識の推移にともなって、この小説は進行する。そのなかにあって、アルベルチーヌとの恋心の描写には、読みながら、ついつい作品のなかにひきずりこまれるように感じた。文章の流れのままに、自分の意識がうつろっていくのである。
前の巻の、ジルベルトとの恋も魅力的であったが、この巻に描かれるアルベルチーヌとの恋も、その恋心のゆれうごきに、思わず心酔してしまうようなところがある。
これも、プルーストの小説を読む楽しみというべきところである。
以上の二点が、私が読んで感じた主な点である。
それから、この巻を読み始めて感じたことは、これは、鉄道の文学だな、ということがある。近代文学と、交通手段としての鉄道の普及には、非常につよい結びつきがある。例えば『アンナ・カレーニナ』。鉄道は、近代を象徴するものでもあろう。
次の巻で、さらにまた舞台は移るようだ。楽しみ読むことにしよう。この『失われた時を求めて』を読み始めて、他の本を手にとる気がしなくなっている。この小説に描かれた意識の流れのなかに、自分の気持ちをまかせているのは、この上ない読書の喜びである。
追記 2018-11-12
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月12日
『失われた時を求めて』岩波文庫(5)
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