『江戸漢詩』から(その二)
2018-12-09


続きである。
やまもも書斎記 2018年11月23日
『江戸漢詩』から
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このところしばらく『失われた時を求めて』を読みふけっていた。そのせいもあって、また、日本漢字学会があったりもして、あまり他の本が読めていない。ちょっと前に書いたことの続きということで、済ませておきたい。この週末は、東京に行って来る用事もある。(文章は事前に書いておいて、東京の宿から朝にアップロードである。)

中村真一郎.『古典を読む 江戸漢詩』(同時代ライブラリー).岩波書店.1998 (岩波書店.1985)
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中村真一郎の『江戸漢詩』という本は、とても興味深い。近代的な詩情というものについて、明治以降になってからではなく、古く江戸時代に淵源を求めることができる。それを断絶したものとして書かれているのが、一般の日本近代文学史であるのかもしれない。

適当にページをひらいて、目のついたところか引用してみる。「都市生活」という章立てのところからである。作者は、寺門静軒。

一架吟樓枕墨陀
黄頭郎自雨中過
雨於渠惡於儂好
簔笠衝烟趣更多

中村真一郎は、次のように読み下している。

一架ノ吟楼、墨陀(スミダ)ニ枕(ノゾ)ム
黄頭楼ハ雨中ヨリ過グ
雨ハカレニオイテハ悪ク、ワレニオイテハ好シ
簔笠烟ヲ衝キ更ニ多シ

評語は次のごとくである。

川べりに突き出している料亭の座敷から、雨のなかを舟を操って行く、簔笠姿の船頭を眺めている。広重の絵のような趣きである。

以上、p.111。

広重の浮世絵に近代につながる詩情を感じるとするならば、同様に、この詩においても心の感じるところがある。『失われた時を求めて』のような西欧の長大で重厚な作品を読んでいると、ふと、このような漢詩文の世界にこころひかれる。これもまた読書の楽しみである。

追記 2018-12-22
この続きは、
やまもも書斎記 2018年12月22日
『江戸漢詩』から(その三)
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[文学]

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