2020-03-07 當山日出夫(とうやまひでお)
マーセル・セロー.村上春樹(訳).『極北』(中公文庫).中央公論新社.2020(中央公論新社.2012)
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続きである。
やまもも書斎記 2020年2月27日
『辺境・近境』村上春樹
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たまたまなのだが、私がこの本を読んだのは、『熱源』(川越宗一)を読んだ次ということになった。
やまもも書斎記 2020年2月15日
『熱源』川越宗一
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極北の大地に国境は無い……このようなことを思った。
描かれているのは、極北の地域。強いて、現在の国名でいうならば、アメリカ(アラスカ)、ロシア、ということになる。このような国名のことは、作品中に出ては来るのだが、しかし、作中人物は、国家に帰属するという(つまり国民)ではない。自由に、北の極限の地域で、生きている。そして、自在に行動している。
時代設定としては、現代、あるいは、近未来、といっていいだろうか。特定の時間には設定されていない。しかし、読んで感じるところとしてある出来事としては、ソ連におけるシベリアでの核開発であったり、チェルノブイリ原発の事故であった……というようなことが、どことなくイメージされる。
このようなできごとがあっても、なおかつ、したたかに生きていく生命力の強さを感じる。ここに描かれているのは、根源的な人間の生命力とでもいうべきだろうか。
そして、日本において、二〇一一年の地震と津波、そして、福島の原子力発電所の事故……これらのできごとは、いまだに終わっていない……このことをどうしても思ってしまう。理不尽なできごと、自然災害、あるいは、人的な災害、だが、そのなかにあっても、強くいきづく生命のちからがあるとするならば、それは、人間がこの世界に生きることの意味に根源的に根ざしたものに他ならないであろう。
二〇世紀から二一世紀にかけて、この世界でおこった様々なできごと……その中には、災害のみならず、テロや戦争をふくめてもいいかもしれない……について、文学的想像力で何を描くことができるか、その極致にあるといっていいだろう。このような世界においても、人間が、文学という営為において何をなしうるか、そこを問いかけるところが、この作品にはあると感じる。
この本は、今日の世界において広く読まれるべき作品であると思う。
2020年2月18日記
追記 2020-03-20
この続きは、
やまもも書斎記 2020年3月20日
『雨天炎天』村上春樹
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