『羅生門・鼻』芥川龍之介/新潮文庫
2020-03-26


2020-03-26 當山日出夫(とうやまひでお)

禺画像]

芥川龍之介.『羅生門・鼻』(新潮文庫).新潮社.1968(2005.改版)
[URL]

芥川龍之介の作品を読みなおしてみたいと思って読んでいる。

「全集」は岩波版で二セット持っている。また、Kindleには、芥川龍之介全集も入れてある。これは、青空文庫からあつめて、筑摩版の全集にしたがって収録したものである。Kindle版については、外出先で読むことに決めておいて、そのほとんどを読んだ。(だが、どうも私はKindleと相性が悪いらしい。どうも、読んだ気にならない。)ここは、割り切って新潮文庫版で今刊行になっているものを読むことにした。このような読み方で、昨年(二〇一九)は、夏目漱石の新潮文庫版を読んだのであった。

「羅生門」は、これまで何度か読んでいる。最初に読んだのは、中学生のころだったかもしれない。

そして、その結末が、芥川自身の手によって改作されていることを、現代のわれわれは知っている。このことについては、新潮文庫版では、本文は改作版によっているが、注で初出の本文については、どうであったか解説してある。

やまもも書斎記 2016年8月17日
芥川龍之介『羅生門』の結末
[URL]

この文庫本に収録してあるのは、次の作品。

羅生門

芋粥

袈裟と盛遠
邪宗門
好色
俊寛

やはり読んで、一番印象に残るのは、「羅生門」であろうか。この作品が、学校で国語の教材として広く読まれていることは、読むとなるほどと感じるところがある。(だが、これも、今般の国語教育の改革で、どうなることかという気はしているのだが。)

「羅生門」「鼻」「芋粥」、このあたりの作品は、私は中学生ぐらいのときに読んだと思う。また、他の作品も、読んだ記憶がある。「袈裟と盛遠」など、今この年になって……七旬である……読んでみると、若いときに読んだのとは、また違った感慨のようなものを感じる。

どれも、『今昔物語集』などに題材をとった作品である。そう思ってみると、近代の国文学・日本文学という研究分野における説話というジャンルの設定は、あるいは、芥川龍之介のこのような作品があってのことかもしれないとは思うところがある。このあたりは、説話文学の研究史には疎いのでどうともいえないのであるが。

『今昔物語集』に題材をとり、それを近代の人間の心理ドラマとして描く……これは、芥川龍之介の発明といっていいだろうか。だが、その面白さと同時に限界のようなものも感じてしまう。近代の理知では、捕らえきることのできない、古代・中世の人間のこころというものがあるように思う。これは、『今昔物語集』などを読むと強く感じる。岩波の新日本古典文学大系本で『今昔物語集』を通読してみたのは、ちょうど一年ほど前(二〇一九)のことになる。また、昨年は『源氏物語』を二回読んでいる(新潮日本古典集成)。

このような目でみるとであるが、特に「好色」のような作品を読むと……これはこれで面白い作品だとは思うのだが……しかし、王朝の「色好み」の世界を、近代の感覚でとらえそこねているように思えてしかたがない。

やまもも書斎記 2019年3月16日
『今昔物語集』(一)新日本古典文学大系
[URL]

続けて芥川龍之介の作品を読むことにしたい。

2020年3月13日記

追記 2020-03-27
この続きは、
やまもも書斎記 2020年3月27日
『地獄変・偸盗』芥川龍之介/新潮文庫

続きを読む

[文学]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット