『源氏物語』岩波文庫(五)
2020-04-20


2020-04-20 當山日出夫(とうやまひでお)

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柳井滋(他)(校注).『源氏物語(五)』(岩波文庫).岩波書店.2019
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続きである。
やまもも書斎記
『源氏物語』岩波文庫(四)
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第五冊には、「梅枝」から「若菜上」「若菜下」までをおさめる。実質的、「若菜」の上下巻が大部分をしめる。

この第四冊を読んで思うことを記してみる。

第一には、『源氏物語』が「書かれた」文学であるということの再確認である。あるいは、『源氏物語』は、ことばを文字に書くとくことに、非常に自覚的であるといってもよい。そのことが、端的に表れているのが、「梅枝」の巻にみられる、仮名についての様々な言及。

おそらく大きな流れとしては、九世紀には仮名ができていたであろう。そして、「草(そう)」とも異なるものとして、「仮名」が生まれてくることになる。さらには、そのなかにおいても、「女手」と称されるべき、特に女性に好まれる仮名の書風があったと推測される。

『源氏物語』は、仮名文というものが誕生してから生まれた文学である。その仮名文は、どう書かれ、読まれたのであろうか。

たぶん、音読ということもあったにちがいない。いわゆる、源氏物語音読論である。『源氏物語』のなかにも、紫の上などが、女房などに、物語を読んで聴かせるというシーンがある。また、岩波文庫本の底本である大島本の表記……岩波文庫は、仮名遣いを原則的に歴史的仮名遣いに改める他は、底本の表記をたどれるように本文がつくってある……を見ると、音読したのでなければそのようにはならないであろう各種の表記が目につく。たとえば、「几帳」であるが、これが、普通の古語の表記とされる「几帳」の文字で出てくることは、希であるとさえいっていいだろう。多くは、他の漢字による当て字である。

その他、踊り字(繰り返し符号)の使い方などみても、文法的な語の表記の切れ目と合致しない例が非常に多い。

とにかく、大島本の表記は、目で読むものとしてよりも音読するテクストであったとおぼしい箇所が多く見られる。

だが、『源氏物語』の文章を読んでみて感じることだが、これは、音読の音声を聞いていただけでは、たぶん理解できないと思われるところもある。平安朝古文に特有のことだが、とにかく主語などの省略が多い。いったい誰が、誰に向かって、何のことを言っているのか、その前後を読み、あるいは、数行先のところまで読んで戻って考えてみないと理解できないようなところがたくさんある。このような箇所を見ると、これは、音読を聞いただけで理解できず、じっくりと目で読むということがあったにちがいないとも、考えられる。

第二には、「若菜」(上・下)で感じたことであるが、このあたりになって、「老い」というものを、感じさせるようになってきた。以前に読んだときには、あまりそのようなことは思って読まなかった。しかし、今回読んでみて、ふと人生の晩年にさしかかって、自分のこれからのこと、死と老いということが、この巻の底流にあることを、強く感じた。

光源氏は、女三宮の降嫁を受け入れる。女三宮は若い、というよりも、むしろ幼い。その幼さの故に、柏木との不倫ということにもなるのであるが……その女三宮との関係において、光源氏は、自らの年齢のことを思い、また、過去の様々な女性とのこと、その中には、藤壷との関係も含まれることになるが、過去を回想する。


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