雑談「昭和」への道「第四回 近代国家と“圧搾空気”〓教育勅語〓」
2023-09-22


2023年9月22日 當山日出夫

司馬遼太郎 雑談「昭和」への道 第四回 近代国家と“圧搾空気”〓教育勅語〓

司馬遼太郎の話は、あっちこっちに行ったり来たりする。この回も、なるほどと思うところもある一方で、今一つ焦点の定まらないところがあった。

見ていて思うことはいくつかある。

明治憲法と教育勅語を並べて論じるということは、現在ではごく普通のことになっていると思うのだが、このような歴史観はいったいいつごろからのものなのだろうか。歴史学史には疎いので分からない。ただ、ここで司馬遼太郎が言ったことは、そうとっぴなことを語ったということではないと理解していいだろう。

その明治憲法と教育勅語が、江戸時代の朱子学の影響下にある。このあたりはどうなのだろうか。現代の研究ではどう考えられているのか、興味のあるところである。

司馬遼太郎が語りかけて(この回では)途中で止めてしまったのが、近代になってからの日本語の文章。確かに、正岡子規や夏目漱石より以前のことである。明治二二年、二三年というと、ちょうど二葉亭四迷が『浮雲』を発表していたころになる。二葉亭四迷については、司馬遼太郎は触れていなかった。無論、それより以前に福澤諭吉の『学問のすゝめ』は出ている。

個人的な思い出として書いてみれば、福澤諭吉の文章をどう考えるべきか、学生のときから、おりにふれて考えてみたことである。まあ、このことについては、特に深く研究を進めるということはなく、論文にしようと思ったこともない。このあたりのことは、近代の資料のデジタル化とコーパスの構築によって、これからの日本語の歴史的研究の一つの課題になるところである。もう私としては、新しい研究が出てくるのを眺めているだけ、ということでいいと思っている。

番組の冒頭で語っていた、坂東三津五郎の勧進帳と、京都府立一中にあった教育勅語のエピソードは面白い。私が通った小学校にも昔は、おそらく昔は奉安殿があったのだろうと思う。子供のころ、校内には二宮金次郎の像があって、学校に隣接して忠魂碑があった。

戦前まで各地の学校にあった教育勅語は、その後どうなっているのだろうか。教育勅語をどう評価するかという論点とは別にして、歴史の史料として、残すべきものであるにちがいない。残っていないならば、それは誰がいつどのようにして廃棄したのかも、興味あるところである。

2023年9月19日記
[テレビ]

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