2024年8月10日 當山日出夫
戦争遺産島 似島 1万人の被爆者が運ばれた島
この島のことは知らなかった。
たしかに、近代になってから日本の軍隊は、海外に派兵し、また、帰還したのであるから、港には検疫施設が必要であることは分かる。これは、日本の他の港にもあったはずだが、実際はどうだったのだろうか。それから、今はどうなっているのだろうか。(COVID-19についても、アメリカの兵士がかなり自由に日本の基地を使うことができることが問題となったのだが、これは今ではどうなっているのだろうか。)
広島の原爆の被災者を似島に運ぶということは、おそらくその当時の軍の判断としては妥当なことだったのだろうと思う。広島近辺で医療施設やスタッフのいるところとなると、限られてくるにちがいない。だが、その似島で多くの人が亡くなることになる。
ところで、一度に数万を超える多大の犠牲者、死者が出たようなとき、その遺体の処理は、どうしてきたのだろうか。関東大震災、太平洋戦争のときに都市部への大規模な空襲、それから、原爆……これらのとき、大量の遺体の処理ということが、まず直面することであったにちがいない。(あるいは、すでに研究のあることなのかもしれないが、論文など検索してみようという気もないのではあるが。)
宇品の名前が出てきていた。『暁の宇品』は買ってある本なのだが、まだ読んでいない。読んでおきたいと思う。
2024年8月9日記
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