まず、小野は朝鮮人の男性と恋をしていたはずだが、その結果はどうなったのだろうか。東京からやってきた汐見香子に会って、日本人と朝鮮人の結婚について、思うところはなかったのだろうか。たまたま好きになった人が朝鮮人(あるいは、日本人)だった、ということなら、その恋を貫いてもよかった。新潟から東京にでも駆け落ちしてもよかったかもしれない。(そして、轟法律事務所にかかわることになるなら、これも面白い展開だろう。)
しかし、朝鮮人とのことはまったく無かったかのように、高瀬と小野は、結婚するという。それも形式的に籍をいれるだけであるとして、子どもをつくったりはしない、という。まあ、たしかに、当事者である男性と女性の合意としてそうならば、憲法にも民法にも違反していない。だが、その時代において、結婚して家庭を作り子どもを育て、という一般的な価値観からは大きく離れることになる。このことについて、高瀬と小野はどう思っていたことになるのだろうか。職場で公言している。普通に見合いして結婚するよりも、世間体というものは厳しかったはずである。ドラマのなかで、朝鮮人とのつきあいが認められないということについては、世間体や親の反対ということを持ち出しているのだが、形式的にのみ結婚するということについては、まったく本人たちの自由である、というのはどうも矛盾しているように思える。
それから、この結婚は職場の上司である寅子に許諾を求めるようなことなのだろうか。憲法にしたがうならば、まったくの自由であるから、寅子に相談する必要はない。寅子も、最終的には自由にすればいいということで対応するのだが、相談されたこと自体について、疑問を感じた様子はなかった。これが、もし、寅子が自分の結婚について職場の上司からとやかく言われるようなことがあったとしたら、絶対に「はて」と思っていたことになるだろう。ここは、そんなことは、職場の上司である私に相談するようなことではありません、自分たちで決めなさいと、言ってもよかった場面かもしれない。だが、寅子はそのようには言わなかった。その後、二人がどうなるかは別にして。
憲法と民法によって自由である結婚と、その地域の風習(あるいは、因習といってもいいかもしれない)、戦後の民主的な社会のなかで考えられるようになってきた家庭というもの、これらのなかで生きた人びとをどう描いていくのか、ということが重要なことであったかと思うのだが、このドラマは、こういう視点では作られていない。
美佐江の言ったことも気になる。どうして自分の体を自由につかってはいけないのですか、どうして人を殺してはいけないのですか……おそらく、大昔から人間を悩ませてきた問題である。東京大学の法学部にいったからといって、答えが得られるような問題ではない。強いていえば、法学部ではなく文学部にいって哲学などを勉強した方がいいかもしれない。(だが、哲学を学んでも、答えがないということを勉強することになるだろうが。)
このような問いを美佐江が寅子に問うたのは、どういう意図があってのことなのだろうか。少なくとも実務的な法律の問題としては、まったく論外の問いかけということになる。(まあ、近年では、人を殺してみたかったというような殺人もある時代ではあるのだが。)少なくとも、このような問いに対して、寅子が考えて、それで成長していくという展開は期待できそうにない。東京に出た美佐江が、後に、光事件のようなことにかかわる伏線ということかもしれないが、これからどうなるだろうか。
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