2024年8月20日 當山日出夫
戦争遺産島 大津島 特攻兵器の訓練基地となった島
若いころ、面識のあった国文学者は、戦時中、回天の搭乗員であった。特に本人からその話を聞いたというわけではない。誰から聞いたのだろうか。
また、ある老人は、戦時中、回天の整備員をしていた。戦後、その技術を活かして自動車整備工場を作った。会ったのは、かなり前のことになるが、淡々とその話をしていたのを憶えている。
私ぐらいの年代(昭和三〇年生)だと、身のまわりにこのような話を聞く機会は多くあった。(ちなみに、学生のとき、下宿していたのはお医者さんの家の二階だったが、そのお医者さんは、戦時中は軍医だった。亡くなられてその葬儀のときに、集まった人たちの話を聞いていたら、戦艦大和の電探……今でいうレーダーであるが……の開発にかかわっていたという人が、昔話をしていた。)
回天について思うことは多くあるけれど、番組のなかで語っていたこととしては、潜望鏡をつかわず、コンパスと時計だけで位置を把握して航行したということが印象に残る。現代なら、GPSで位置情報を確認できるのだが、そのような時代ではない。逆に、GPSがいかに重要な軍事技術であるかも分かることになる。これは、飛行機も同じである。コンパスと時計、それから地図、計算に使ったのは計算尺だったろうか、これだけで航空母艦を飛びたって目標を見つけ、戦闘があって、また帰還する。特攻の場合は、片道ということにはなるのだが……。これだけでも、いかに大変なことであったか想像できる。そのような能力を持った若者たちの命を犠牲にしなければならなかったことは、ただ、「統帥の外道」というには、あまりにも無残である。
2024年8月17日記
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