「お母さんに会いたい〓フィリピン・ムスリムの兄と妹〓」
2024-08-31


2024年8月31日 當山日出夫

時をかけるテレビ お母さんに会いたい〓フィリピン・ムスリムの兄と妹〓

録画してあったのをようやく見た。その間、オリンピックとかがあったのだが、オリンピックはほとんど見ていない。

いろいろと思うことはある。ヒューマニズムのドキュメンタリーとして見ることもできるのだが、しかし、それでは、じゃあどうすればいいのか、ということになるとかなり難しい。

一つには、宗教上の対立ということ。今、世界のいろんなところでの武力紛争の背景には、宗教上の問題が関係する。それぞれの宗教を尊重し合いながら、相互に寛容であるということは、言うのはたやすいことなのだが、実際の社会のなかでは具体的なこととしては、いろいろと困難がともなうことが多い。(日本で近年の話題というと、日本に住むムスリムの人たちの墓地をどうするかという問題がある。イスラムは土葬である。日本でもまだごく一部には土葬も残っているが、火葬が最も普通である。移住するならその土地の風習になじむべきだとはいっても、さて、日本に来て住むなら、死んだら火葬にされることに同意せよと、言っていいものなのだろうか。)

少なくとも、子供のころからの宗教教育というものが重要であることになる。この観点からは、日本の場合、公教育の場からあらゆる宗教性を排除しようという考え方は、考えなおすべきなのかもしれない。(修学旅行で、古社寺をたずねることはあるかもしれないが、それは文化財として見ているのであって、宗教性は表向きには否定されていることになる。)

宗教上の対立に起因する武力闘争については、なんとかして妥協点をさぐることしかないのかと思う。(場合によっては、強制的な武力介入もやむを得ないこともあるだろうが、それで恒久的な解決になるわけではない。)

また、貧困の問題がある。世界の貧困、経済的格差は拡大する一方であるというのが、今のありさまかと思う。この世界の経済と政治、社会の基本構造のあり方の変化の問題、これはそう簡単に解決はできないかと思わざるをえない。せめて、児童労働を無くす努力、教育の普及、医療の提供、といった、当たり前のことになるが、このような地道な努力しかないのだろう。

余計なことかもしれないが、この番組を企画するとき、まず現地に再度行ってみて、兄妹の現在を確認できたから、放送したのだと思うが、どうなのだろうか。もし、病気とか、テロとかとかで、亡くなっていたりしたら、放送できなかったかもしれない。

2024年8月30日記
[テレビ]

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